ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

ペンネンネンネンネン・ネネム

まったく気がつかなかったんだけれど、二年以上前に東中野で二回見た小森はるか監督の『息の跡』(2015) が DVD で発売されていた。映画の中で『夜来香』を歌っていた佐藤さんがギター演奏をする特典映像が付いているらしい。早速、購入する。それで、小森さんたちは、いまどんな活動をしているのか気になって調べたら、NOOK (英語だが、「のおく」と読むらしい) という 一般社団法人を始めたらしい。その紹介文があまりにも素晴らしいので、一部引用させていただく。

こうした活動の中で、私たちは過ぎ去ったものたちや忘れ去られていくものたち、片隅へと静かにまなざしを向ける必要を覚えました。

ということで、注意が東北に向かったので、宮沢賢治を思い出し、なぜか『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』を読み直した。そこには、フクジロというバケモノが一銭のフクジロ印の燐寸を十円で売りつけていて、その搾取の連鎖が 30 人も続いているのを世界裁判長になったネネムが裁く有名な場面がある。「フクジロ印」が笑みを誘うのは、日本の独自の発明だという徳用マッチの図柄の記憶があるからである。戦前の日本ではマッチは重要な輸出産業の一つで (マッチはライターよりも歴史が新しい)、以下のサイトが詳しい。スウェーデンの資本が日本に進出していたというのも吃驚した。

https://www.match.or.jp/index.html

この作品は世界大恐慌に伴う昭和恐慌よりもずっと前の 1922 年に作られたものであり、その年は妹のトシが亡くなって無声慟哭三編が書かれた時期でもある。作品の中では、ネネムがとる裁判の調書には「アツレキ 31年」とある。1930 年の最悪のタイミングでの金解禁による昭和恐慌と世界のブロック経済で対米向けの生糸 (蚕は当時の農家の収入源) の輸出は大幅に減り、当時は相場制だった米価はデフレ政策、豊作、海外からの米の輸入が増えたことで値崩れし、賢治が「雨ニモマケズ」を手帳に記した 1931 年には冷害で東北地方は記録的凶作、都市への出稼ぎどころか仕事のない都市の労働者が帰農したために、経済は完全に破綻し、女性や子供の人身売買が横行した。1933 年には三陸津波、1934 年にはまたしても大凶作というのは歴史が教えてくれる通りである。

全然関係ない音楽。

1953:
Pretend (Nat King Cole)

1956:
Candy (Nat King Cole)


息の跡 [DVD]

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