雑記(4)

インターネットでどうでも良い記事を眺めていたら、「組織は慣性力に従う」という文章にお目にかかった。これは、組織が現状をなかなか変えることができないという意味で使っているのならば、「組織は慣性に従う」で良いと思う。

以下のニュートンの「プリンキピア」の法則 I にあるような力学的性質が「慣性」である。

すべて物体は、外力によってその状態を変えられない限り、その静止の状態を、あるいは直線上の一様な運動の状態をそのまま続ける。

だから、「慣性」とは外力がなければ、運動量が保存されるということである。そして、一番重要なことは、それは物体の観測者が、静止あるいは等速 (一様な運動) なすべての等速座標系の群のどれかの座標系にいることが暗黙の内に前提にされていることである。ニュートン力学とは、このガリレイ変換で不変な観測座標系で成立している。


一方、「慣性力」とは観測者が「加速度座標系」にいるときに等速座標系に対して新たに補償しなければいけない力のことである。ここで、通例に従って「慣性力」を「見かけの力」と説明すると、「見かけ」という言葉の一般的イメージから、まるで現実にはない嘘の力のことだと受けとられる可能性がある (実際そのように勘違いして混乱している人が結構いる)。「見かけの力」というのは、ニュートン力学の体系を「加速度座標系」にも適用するために必要とされる「見かけ」という意味であって、「加速度座標系」にいる観測者にとっては実際に力として感じられるのは、電車が停止しようとするときの経験などから明らかであろう。

力学の教科書に「ダランベールの原理」をきちんと説明しているものが少ない。ニュートン運動方程式 \mathbf{f}=M\mathbf{a} において、\mathbf{f'}=-M\mathbf{a} を「慣性力」と名付け、

\mathbf{f}+\mathbf{f'}=\mathbf{0}

と書いても、一体、このどこが「百科全書」の序文を執筆した碩学の名前を冠するほどの「原理」なのだろうと思ってしまうのではないか(単に式の遊びではないか)? 少しまともな説明だと「仮想仕事 (運動量 /
力積) の原理」に引きつけて書いてあるのだが、そうすると偉いのは、やっぱりラグランジュだねという程度の理解で終わってしまう。


でも、そんなにこの原理を理解するのは難しくないはずで、例えば自由落下する物体を一緒に自由落下しながら観測している人がいれば、その観測者にとってその物体は静止して見えるはずで、そのために慣性力という力を導入して重力の影響を打ち消しさえすれば、ニュートン力学は依然有効だということなのである。


例として等角速度 \omegaで回転する座標系にいる観測者は、静止座標系では外力が働いていない物体に対して「慣性力」が働いている運動を見る。計算が面倒なので複素平面で考えると(虚数単位を j としている)、  re^{j\omega t} を一回 t で微分して、

 \dot{r}e^{j\omega t}+(j\omega)re^{j\omega t}

さらにもう一回 t で微分して

 -r\omega^{2}e^{j\omega t}+2\omega\dot{r}je^{j\omega t}

これは、次のようにも書ける。

 -r\omega^{2}e^{j\omega t}+2\omega\dot{r}e^{j(\omega t + \frac{\pi}{2})}

したがって慣性力は、

 mr\omega^{2}e^{j\omega t}-2m\omega\dot{r}e^{j(\omega t + \frac{\pi}{2})}

となるが、言うまでもなく最初の項は「遠心力」、次の項は「コリオリ力」と呼ばれる慣性力である。

もし、物体がこの回転する加速度座標系とあわせて原点から等距離で一緒に回転して加速度座標系にいる観測者から見たときに静止していれば、遠心力は向心力の反作用の力として実際に存在していることになる。一方、先ほどの自由落下の場合は慣性力は「見かけの力」と言っても違和感はない。ここらあたりが、慣性力を「見かけの力」という言葉で表現することによって混乱しているところなのかもしれず、だから安易に使うのが嫌なのである。