雑記

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昨日の記事に少しだけ関連する。

 

昨年バングラデシュで行った健診結果をまとめ、学会発表のために来日したバングラデシュの医師と本日お会いしたときに、終わったばかりの学会発表のことが話題となった。その医師が発表を終えると、何故そんなに異常率が高いのかと会場から質問が出たそうである。データの信頼性に問題はないのかという意味だったらしい。すると年配の医師が日本でも健診の導入が始まった頃は、同じような傾向があったんだとコメントしてくれたそうである。これには世界が開かれるような感銘を受けた。そこでは、現在のバングラデシュの具体的な経験と過去の日本の出来事の具体的記憶が思いもかけず遭遇し、共鳴したわけである。

 

大学時代、ゼミで蓮實さんが小津安二郎監督の『非常線の女』(1933) をくれぐれも見逃さないようにと出席していた学生達に告げたことがある。当時この映画は修復されてまもなくの頃で、たしかにフィルム・センターの小津特集の目玉ではあったのだ。しかし、蓮實さんがもちろん、そういう訳で勧めたわけではないことは、『監督 小津安二郎』の中でのこの作品の重要性を見てみればわかるだろう。銃器の所持が未だ規制されていない戦前の日本が舞台で、実際、田中絹代が胸元に銃を構えるショットがあるこの犯罪活劇は、小津作品が「小津的なもの」の枠から解放されるために必要な具体的な作品である。「閉じた思考」とは逆に「小津的」「日本的」な自らの思い込み=既成概念のために作品=事実をダシにし、都合の悪い『非常線の女』のような作品を無視したり蔑視したりすることをいう。「開かれた思考」とは、事実によってそれがいま思われている既成概念とは別のものでもありえることを示すことだ。