雑記

あまり書くことがないので、またまた Presely の “Love Me Tender” をネタにする。

 

 

この曲を取り上げた元々の意図は、L の音が共鳴しているところ(“All my dreams fullfilled” みたいなところ)が、この曲の一番の聴かせどころでしょうってことを示したかったことにある。

 

一箇所だけ補足すると、エルヴィスが歌っている中で、

 

Take me to your heart

For it’s there that I belong

 

というところがある。二番目のところは、もちろん there を強調している It を使った強調文だけれども、ここの that のところのエルヴィスの発音が僕には、いったいどういう訳でこんな発音になるのか非常にわかりにくい。理屈でいえば there は強調されているので明瞭に発音され、機能語の that は後ろにくっついて非常に弱く発音されることが多いので、

 

For It’s there /that〜I belong

 

みたいになるのは分かるし、that の th が非常に弱まるというのも分かるんだが、なんかそれ以上の分かりにくさがある。Elvis はさらに it’s の最後の /ts/ を破裂させているので、there の th もほとんど脱落させている。二つの th の音を極端に弱めて歌っているということかもしれない。 th の音は発音も難しいが th の音を th として聞き取っていない者にとって音の変化の理解を困難にする。YouTube にあった Raisa が歌っているものなどは、その点、この that の発音の仕方を解説してくれているようで分かり易いがエルヴィスのものとは違う気がする。

 

 

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それにしても、/l/と/r/という音を日本人はまったく識別できないという「わかりやすい嘘」はいったいいつ頃から成立し、いつ頃からまことしやかに語られるようになったのであろう。昨日の Aura  Lee の名前の r と l が同じに聞こえるとでもいうのだろうか。また、「マリリン・モンロー」と "Marlyn Monroe" は全然違う音ではないか。

 

※ ちなみにこのクリップは、ジョージ・キューカー監督の『恋をしましょう』(1960) のトレーラーだが、映画の中でミルトン・バールが語末の”L” の発音をイブ・モンタンに教えるところがある。また、以下のベタな英語のジョークはこの作品が出典である。

 

”Will you call me a taxi?"
"Yes, you're a taxi."

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マリリン・モンローという女優が神話の中に閉じ込められているように、"L と R" も神話に閉じ込められたままである。その神話からの解放は難しいことではない。たとえば、彼女の曲である、

 

A Little Girl From Little Rock とか、

 

Specialization (『恋をしましょう』の挿入曲)とか、

 

River of No Return とかで、

 

官能をこめて歌われている声そのものを聴けばすむことである。

 

日本語のときだって文脈を使って音を推定することはあるだろうが、そのことと初めから、/ l/ と /r/ の音を「ら行」の音を媒介として受け取り、それが /l/ なのか/r/なのかを当て推量するということはまったく違う。それは日本語の枠から一歩も出ようとしていないだけである。また /l/ と /r/ の音を二項対立でセットとして考える思考も放棄したらどうか。まず、「分かりやすい嘘」に振り回されることなく、それぞれがそもそもどういう音なのかを自分の耳で先入観なしに聞いてみること。あの巷に氾濫することさら分かりにくいケースの /l/ と /r/ の聞き分け問題は、オカマをいっぱい集めて男か女か当てさせるゲームのようなものだと思えばよい。

 

中島敦の小説『名人伝』を読んだことがある人は多いと思うが、以下は、弓の訓練をするために紀昌が、飛衛に弟子入りするところの引用である。

 

それを聞いて飛衛がいう。瞬かざるのみではまだ射(しゃ)を授けるに足りぬ。次には、視(み)ることを学べ。視ることに熟して、 さて、小を視ること大のごとく、微(び)を見ること著(ちょ) のごとくなったならば、来(き)たって我に告げるがよいと。
 紀昌は再び家に戻(もど)り、肌着(はだぎ)の縫目(ぬいめ)から虱(しらみ)を一匹探し出して、これを己(おの)が髪(かみ) の毛をもって繋(つ)ないだ。そうして、それを南向きの窓に懸(か)け、終日睨(にら)み暮(く)らすことにした。 毎日毎日彼は窓にぶら下った虱を見詰める。初め、 もちろんそれは一匹の虱に過ぎない。二三日たっても、依然(いぜん)として虱である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。 三月目(みつきめ)の終りには、明らかに蚕(かいこ)ほどの大き さに見えて来た。虱を吊(つ)るした窓の外の風物は、次第に移り変る 。煕々(きき)として照っていた春の陽(ひ)はいつか烈( はげし)い夏の光に変り、澄(す)んだ秋空を高く雁(がん) が渡(わた)って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙 (みぞれ)が落ちかかる。紀昌は根気よく、毛髪(もうはつ) の先にぶら下った有吻類(ゆうふんるい)・催痒性( さいようせい)の小節足動物を見続けた。 その虱も何十匹となく取換(とりか)えられて行く中(うち)に、 早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、 窓の虱が馬のような大きさに見えていた。占(し)めたと、 紀昌は膝(ひざ)を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。 人は高塔(こうとう)であった。馬は山であった。豚(ぶた) は丘(おか)のごとく、 雞(にわとり)は城楼(じょうろう)と見える。雀躍(じゃくやく )して家にとって返した紀昌は、再び窓際の虱に立向い、燕角( えんかく)の弧(ゆみ)に朔蓬(さくほう)のやがらをつがえてこれを射れば、矢は見事に虱の心の臓を貫(つらぬ)いて、しかも虱を繋いだ毛さえ断(き)れぬ。
 紀昌は早速さっそく師の許(もと)に赴(おも)むいてこれを報ずる。 飛衛は高蹈(こうとう)して胸を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒 (ほ)めた。そうして、直ちに射術の奥儀秘伝(おうぎひでん) を剰(あま)すところなく紀昌に授け始めた。
 目の基礎訓練に五年もかけた甲斐(かい)があって紀昌の腕前(うでまえ)の上達は、驚くほど速い。