ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

英語の勘所 (19)

インターネットに下の例でなぜ  in を使うのかイメージが湧かないとあったので、あえて書くことにする。

List the names in alphabetiacal order.

まず、集合を思い出してもらって

俺の家族 = {母ちゃん、俺、娘、息子}

と書くとすると

in (俺の家族)

というのは

in  {母ちゃん、俺、娘、息子}

のことである。

List the names in alphabetiacal order.

の alphabetiacal order は、アルファベット順を満たすありとあらゆるものの集合のことである。その中のひとつとして、the names のリストも含まれるから in を使っているだけである。注意として、 furniture という単語が常に非可算だということを思い出して欲しいのだが、種々雑多なものを含めた集合の名前は単数形のままで冠詞もつかない。

だから

The numbers were measured in thousands.

の in thousands は「千を単位にして」かもしれないが in が使われる相手は「千を単位にした総ての数の集合」のことである。

speak in English

は、なんか「英語という言語空間内」という説明が紹介されていてすごいなあとも思うのだが、ここでは「領域」としてではなく、単純に「英語で話すありとあらゆる行為」の 範囲の一つという意味で使っているだけだと思う。

write in pencil

ここでは pencil に冠詞がついていない。それは「pencil で書くというありとあらゆる行為」の意味だから、冠詞なんかつけたらすごく変なのである。慣用で省略しているわけでは決してない 。

pay in cash

これも cash は「cash で支払うありとあらゆる行為」のことなのである。

何もむずかしくないと思うんだけどなあ。とにかく、in はその領域の中であればありとあらゆるもの総てを潜在的に含んでいて (その中の出来事や抽象的性質までも含む)、その中から特定の何かを取り出して表現するときに使うんだという感覚が必要なんだと思う。一方、前置詞の  at は領域を点だとみなし、その領域の「中」のものを取り出しているという感覚はなくなり、単なる場所というニュアンスにしてしまう。

the decrease in business 
a tremble in her voice

同じように、

a way of living 

の living はあらゆる living の集合だって考える習慣が必要である。複数あるから「様式」が存在しえるのである。

なお、抽象名詞が「状態」をあらわすとき、「状態」を空間だとみなす癖は英語に確かに存在している。たとえば、「どっぷり」の in love  (愛しているという状態), 「ちょっと」の at ease (くつろいでいる状態) のような場合である。

In trouble
in disgust
in horror
in a mess
in suprize
in confidence 
in amazement 
in fear
in harmony
in contact
in authority
in black and white
In full bloom
in a hurry
in a whisper

※ X in Y で X は Y に含まれているものを特別に取りあげたものだという考え方は前置詞に迷ったときに便利なことがある。

the man in the waiting line

「行列の男」の場合、もちろん、男は行列というものの一部をなしている。行列の先頭、最後は下の様にいえばよい。なぜ、line に冠詞が省略されているかは、すでに説明したことと同じである。front/end の前の定冠詞 the は必須である。以前の記事で定冠詞について紹介したが、集合の個々の line に対して別々の front / end がそれぞれ指定されるという the の機能にもっと驚くべきであろう。

the man in the (front / end) of line

他にもいくつかの例を見てみる

the word  in the sentence
the curve in the road 
In my opinion, I said ...