ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

英語の勘所 (12)

このシリーズの一番最初に書いたことの補足にあたる記事である。

あまりにも初歩的な話で申し訳ないが、動詞の enter が「部屋に入る」みたいな場合

誤:I entered to the room.
正:I entered the room.

で、「それは enter が他動詞だからで、そういうものなんだから覚えるしかないんです」に大同小異な説明をし、更に enter に加えて山のようにある「自動詞に間違えやすい他動詞のリスト」を羅列してみせることを「教育」と呼ぶのならば、そんなものはなくてもよいんじゃないかとさえ思う。

たとえば、「境界線を超える」という意味で、enter と jump という二つの動詞を比較してみる。どちらの動詞が、「超える」という動作が意識されやすいかは明らかであろう。jump  はその動作が意識される場合は、

 Jill jumped over the fence.

を使う。しかし、その fence がある程度高くて、障害物としてはっきりと意識されていて、「跳び越えた」という「結果」に対する意識が強くなると、

 Jill jumped the fence.

と前置詞がなくなる。これは、例えば次の例文のように普通は絶対に前置詞をとるはずのコンサート会場さえ、前置詞がなくなってしまう例を見てみれば了解されやすいと思う。

She played the Carnegie Hall in November 2007 as a musical saw soloist.

「部屋に入る」ときに人はその外と内の境界を超える過程そのものにどれほど意識的なのだろうか?普通の生活ではあまり意識しないはずである。だから普通は、

 I entered the room.

と「結果」表現をとる。ところが、インターネットにあった次の例文を見てほしい。

She is the only one who managed to enter into Bogdan's dressing room.

ここでは、特定の部屋に入ることそのものの過程が困難なこととして設定されており、その場合には前置詞 into が enter の後に存在している。

今度は 入る対象がより抽象的な場合を考えてみる。契約書なんかによくある文章として、

The both parties enter into this Agreement which is in effect as of April 5, 2018.

なんかがある。「入る」べき経路がよく分からない対象には、経路としての前置詞を加えてやる必要かあるというのが、英語の癖なのである。たとえば、次の例を見て欲しい。

Go up the stairs.
The airplane went up through the clouds.
× The airplane went up the clouds. 

なぜ、階段の場合には through が必要なく、雲の場合には必要かというと、stairs の方はそれ自体が「経路」と考えることができるが、clouds には「経路」がイメージしにくいと考えられているからであろう。だから、「仮想の経路表現 」 through を付け加えてあげないといけない。同じような例として、

× John walked down the wood.
John walked down through the wood.

下の例の二番目の文で into でなく in で済ますことができるのは、window の枠が通路としてイメージできるからだろう。

He looked into the window.
He looked in the window.

以上のような例から想像するに、enter のような場合、物理的な「入り口」がイメージできない対象には、前置詞を置くことが必要になるのである。