ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

英語の勘所 (5)

ほぼ半年ぶりにこのシリーズに関する記事が更新されるという事実は、今後もこの領域での記事が作成されることを支持するものでは些かもなく、それどころか作成者の「英語の原理主義」に対する嫌悪感は日毎単調に募るばかりであり、それでも書くことをなんとか促したのはコール・ポーターが作った二つのスタンダード曲の題名である

You’d Be So Nice to Come Home to
You’d Be So Easy to Love

からの刺激である。

ところで、制度的には大学生だった時分、蓮實重彥は是枝裕和監督も出席していた映画のゼミナールを大学で教えていただけではなくフランス語も教えており『フランス語の余白に』という教科書のようなものさえ編纂している。長らく絶版であったが、つい最近、そのテクスト部分のみが電子版の書籍として購入できるようになっている (もともとはシャンタル夫人による朗読のカセットテープが別売されていた)。その INTRODUCTION の文章の最後は以下のように締めくくられている。 

外国語の習得に必要とされるのは,自分では知らないはずのことがふとわかってしまうという特殊な能力である。この能力は,自分では知っているはずのことがふとわからなくなってしまうといういま一つの能力とともに,もっとも重要なことがらである。日本語を語り,聞き,書き,読む場合にも発揮さるべきこの二重の資質を欠落させた人間は,決して言葉を肉体化することはできない。

ここに書かれている二つの能力のひとつ目はアブダクションの能力であり、もう一つはサディズム=マゾヒズムの例であげたような「わかりやすさ」を批判する批評能力のことだと勝手に思っている。それらの能力はもちろん語学に限られるものではなかろう。

ここからは、ようやく英語の話題に入る。

以下の文は、アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』(The Old Man and the Sea, 1952) の冒頭部分の引用であり、老人と少年が近くの食堂で一息入れてから、老人の釣り船の道具を片付け始めた場面に存在している。

No one would steal from the old man but it was better to take the sail and the heavy lines home as the dew was bad for them and, though he was quite sure no local people would steal from him, the old man thought that a gaff and a harpoon were needless temptations to leave in a boat.

(訳例)
だれも老人から盗むなどしないだろうが、帆と重い綱は家に運んだ方が夜露に濡れなくてよかった。老人は土地の者が盗みなどしないと確信していたが、魚かぎと銛(もり)を船に残すのはいらざる出来心を誘うものだ考えていた。

ここで、“a gaff and a harpoon were needless temptations to leave in a boat” は it を主語に書き換えると、 

It was needless temptations to leave a gaff and a harpoon in a boat.

となる。ここで、to leave の意味上の主語は「不特定の人」として省略されていると考えることができるだろう。なぜなら、“a gaff” “a harpoon” “a boat” は、前の文章にある “the sail” “the heavy lines” で定冠詞が付けられているのとは対照的に不定冠詞 a がつかわれており、これは「魚かぎ」や「銛」や「船」を老人が総称的に考えていることを示している。同じように、

The data is difficult to interpret.

を取り上げると、to interpret の主語は、「不特定の人」であるから省略されている。次の例文を見る。

John told Bill to leave.
John persuaded Bill to leave.

この二つの例文では、“to leave” の意味上の主語は、目的語のBill であろう。次の例文を見る。

John promised Bill to leave.

この文章は、「ジョンがビルに、ジョンが去ることを約束した」のであって、「ジョンがビルに、ビルが去ることを約束した」のではない。つまり、“to leave” の意味上の主語は、ここでは John になる。実は、このような振る舞いをする動詞は、数ある動詞の中でたった一つしかなく、そのたった一つがこの promise であるというのはかなり「驚くべきこと」のように思える。

ところで、コール・ポーターの曲の題名に戻ると、

You’d be so nice to come home to.
You’d be so easy to love.

の意味上の主語は省略されている。その効果と仮定法で相手に婉曲的に愛を伝えているところが、いかにも素敵だと思うのだがどうだろうか?
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行為の「難易」や「快不快」や「有用性」などの判断を下す tough に代表される形容詞は、独特な構文をとることがあるのは良く知られている。たとえば、 

It is (difficult / easy) to remember this rule.

いわゆる tough 構文では、以下のようになる。

 This rule is (difficult / easy) to remember.

他の例文をいくつか挙げておく。

That man is impossible to work with.
This room is pleasant to work in.
This is convenient to carry.
Foreign languages are useful to know.
The river is dangerous to bathe in.

この構文がどんな状況で成立しうるかは「主語を特徴づけている」と呼ぶべき場合に制約されているように思われる。何が言いたいかは下の例文でアブダクションして欲しい。

This bed is comfortable to sleep in.
× This bed is comfortable to sleep (near/under).

New York is dangerous to meet friends in.
× Friends are dangerous to meet in New York.

John is impossible to talk to because he is stubborn.
× John is impossible to talk to because he is not at home now.

 

フランス語の余白に

フランス語の余白に