My Blue Heaven

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トッド・ヘインズ監督の新作である『ワンダー・ストラック』をレイト・ショーで見る。観客の数は 10 人に満たない。まあいいだろう。ジョン・ウェインが亡くなるまでお蔵入りにした『ラスト・シューティスト』(1976, 1979日本公開, The Shootist) よりは、上映劇場の数は例えば神奈川では「二つも」あるだけ時代は進歩したんだろう。神奈川県の人口は約九百万人だから、その大都市圏での映画館の人口あたりの数(= 約 2 / 9,000,000)は、絶対的に不足していると言われる新興国の人口あたりの医師数(例:バングラデシュ, 約 3 / 10,000)よりもオーダーが違う劇的少なさなのだが、その不便さも我慢しよう。なにせ全国でいうと 24 (東京:5, 神奈川:2, 埼玉:1, 千葉:1, 栃木:1, 愛知 3, 静岡 1, 大阪:2, 兵庫1, 京都:1, 石川:1, 福岡: 2, 沖縄:1, 宮城:1北海道:1) も上映館があるのだから。Gini 係数を所得ではなく人口あたりの映画館数で計算してみれば、すでにいつ革命が起きても不思議ではない格差社会が生まれており、革命が起きるなら中四国あたりからのような気がするが、まあ一国のリーダーから始まり、小心な国民によって構成されている国ではその気遣いはなく、時代は確実に進歩しているのだろう。

 

1977年のキンケイド書店に1927年の曲である ”My Blue Heaven” が前触れのように流れていて、たまらない演出だったなあ。流れていたのは、もちろん、1927年に録音され、1928 年にヒットした Gene Austin によるものである。もう、すでに天野喜久代の『愛の古巣』を紹介した記事で  ”My Blue Heaven” の1927 年の録音はあらかた紹介済みなので、ここで繰り返すつもりはないが、映画で使われた一番有名な Gene Austin のものだけ改めて紹介しておこう。なお、バックの演奏の指揮をしているのは Nat Shilkret で楽団は The Victor Orchestra である。

 

 

ニッポノホン・レーベル(後にコロムビア・レーベルとして再発)で天野喜久代と二村定一によって『アラビヤの歌』とともに吹き込まれた、堀内敬三の普通なら誤訳と言われそうな訳詞がされた『あほ空』は日本のメジャー・レーベルによる初のジャズのヒット・レコーディングであるのは常識であろう。その後、ビクターからも二村定一単独の歌で録音されている。

 

トッド・ヘインズほどまでに細部にこだわり抜くのは難しいかもしれないが、それにしても日本語の Wikipedia の記述で天野喜久代と二村定一のレコードの発売時期を「1928年9月」などとビクター版の発売時期と勘違いして(実はそれでも微妙に違うのだが)記載する杜撰さはどうだろう。今の日本の文化的弱さを端的に示す一つの例だとまで言いたくなってしまう。大体、『あほ空』の録音時期は諸説あって調べてもよくわからないのだが「1928年9月」でないことだけは確実である。1927 年のサイレント映画でもトーキー映画でもない F・W・ムルナウの『サンライズ』(Sunrise) やミリオン・セラーとなった”My Blue Heaven”  のことぐらいは当然のように踏まえて欲しい。たとえば、風のシーンや1927年のニューヨークの「群衆」シーンでキング・ヴィダーの映画を具体的に想起することなしにこの映画をどうやって楽しめるのだろうか。ミリセント・シモンズの髪の毛の描写にすら映画的記憶は存在しているのだ。

 

日本の「青空」のコロムビア版にしても、ビクター版にしても米国の1927年の録音の一体どれを参考にしているのか決定的なものはないように感じる。ということは、米国でシート・ミュージックを購入し、楽譜にもとづいて独自に演奏した可能性もあるということだと思う。

 

コロムビア版:

ビクター版:

 

※ 1927年以外の “My Blue Heaven” の録音例

1934:

Luis Russell:

1935:

Jimmie Lunceford:

1940:

Artie Shaw:

Glenn Miller:

Coleman Hawkins:

1941:

Maxine Sullivan: