画面奥から手前への動き

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エドウィン・S・ポーター他監督の『ニューヨーク 23 番通りで何が起こったか』(1901, What Happened on Twenty-Third Street, New York City) の記事で、この短い作品でずっと立ってカメラの方を見ている少年がいるけれども、観客の視点を代行させている意図があるのだろうか と書いたが、同じポーター監督の『大列車強盗』(1903, The Great Train Robbery) の最後には次のクリップのように観客に向かって銃を発射しているように感じる名高いショットがある。

 

 

映画が始まった初期は、もちろんカメラはまだフィックスのままであり、フィルムを繋ぎ合わせて編集することさえままならなかった。そんな段階でも、スクリーンの二次元的な広がりに垂直な方向、特に画面の奥から手前への動きは観客にあるエモーションを引き起こすという点で特権的な向きであったといえる。実際、リュミエール兄弟の作品をみると『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896, L'arrivée d'un train en gare de La Ciotat) をはじめとして、何本かの作品はこの向きを活用して撮影されていることがわかる。『工場の出口』(1895, La Sortie de l'usine Lumière à Lyon) は、世界初の商業公開の映画であるし、「列車の到着」は観客が列車を避けるために席を思わず立ったという神話で名高い。

 

 

こういった撮影は、その後の映画でも様々に使用され続けられるわけだし、ズーム・レンズの実用化に伴い「アメリカン・ニューシネマ」と称される数多くの駄作が含まれる映画群であまりにも安易に多用されるズームの画面が見るものの感性をひたすら辟易させ、映画表現もここまで堕落したかと思わせるようになったりするのだが、それはまた別の話である。

 

最後に映画の特権的な向きを活用した初期の作品としてジェームズ・ウィリアムソンの "The Big Swallow” (1901) を挙げておく。