ニューヨーク 23 番通りで何が起こったか

エドウィン・S・ポーター他監督の『ニューヨーク 23 番通りで何が起こったか』(1901, What Happened on Twenty-Third Street, New York City) を見ると、20 世紀はまさに女性の脚を男の低次元の欲望が表象することで始まっていることが確認できる。

 

 

20 世紀「前半まで」の映画の歴史とはまさに女性の脚をその低次元の「見世物」であることから解放し、単なる女性の脚そのものの再現に留まらないなにかを表現する手段にまで高める歴史であった。嘘だと思うなら、バスビー・バークレーの振り付けをもう一度見て欲しい。

 

 

この作品『ニューヨーク 23 番通りで何が起こったか』をビリー・ワイルダーの『七年目の浮気』(1955, The Seven Year Itch) のマリリン・モンローのスカートが地下鉄の風で捲れるシーンと比較する視点は当然存在していて、かなり近いとは思うが、それでも後者のシーンは、wikipedia (ニューヨーク23番通りで何が起こったか - Wikipedia) でも珍しくきちんと解説しているように、モンローが演じている人物の特徴を作り出して、その後の物語 (narrative) を自然にしている点で前者とは異なる機能を有している。

 

ところで、この短い作品でずっと立ってカメラの方を見ている少年がいるけれども、あれは単に「カメラ払い」ができていない所為なのだろうか、それとも観客の視点を代行させている意図があるのだろうか (フーコーが『侍女たち』を分析したように)。フィックスしてフレーミングしたカメラを見つめて動かない人物は、どんなに周辺にいても意味有りげに見えてしまう。