おもしろい (9)

たとえば、プルーストの『失われた時を求めて』なんかは、明らかに「主題論」と「説話論」の連携としての「記憶」の不可思議な仕組みについて書かれた小説のように思える。しかし、ここでは、もっと具体的な効用として、退屈な文章の主題を取り替えてみるという例を紹介する。これは『日本批評大全』にあった例なんだが、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』て谷崎の書いたものの中ではいまひとつ面白くないが、この本の主題を「女体の神秘」に設定して(= 取り替えて) 読んでみると面白さが際立つから不思議である。やっぱりその筆力は尋常ではない。以下はもともとは「漆器」の良さについて書いている部分なんだが、主題を変更し、適当に省略したり、伏せ字に改めたりすると、少しだけど怪しい官能の世界に興奮させられるような気がする。

 

漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。(中略) それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆらゆらとまたゝく蔭にある××や××を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。(中略) 事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。(中略) もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭(ろうそく)のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。(中略) つまり××は明るい所で一度にぱっとその全体を見るものではなく、暗い所でいろいろの部分がときどき少しづつ底光りするのを見るように出来ているのであって、豪華絢爛な模様の大半を闇に隠してしまっているのが、云い知れぬ餘情を催すのである。そして、あのピカピカ光る肌のつやも、暗い所に置いてみると、それがともし火の穂のゆらめきを映し、静かな部屋にもおりおり風のおとずれのあることを教えて、そゞろに人を瞑想に誘い込む。もしあの陰鬱な室内に漆器と云うものがなかったなら、蝋燭(ろうそく)や燈明の醸し出す怪しい光りの夢の世界が、その灯のはためきが打っている夜の脈搏が、どんなに魅力を減殺されることであろう。まことにそれは、畳の上に幾すじもの小川が流れ、池水が湛えられている如く、一つの灯影を此処彼処に捉えて、細く、かそけく、ちらちらと伝えながら、夜そのものに××をしたような綾を織り出す。(中略) 漆器は手ざわりが軽く、柔かで、耳につく程の音を立てない。私は、×× を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたゝかい温味(ぬくみ)とを何よりも好む。それは生れたての赤ん坊のぷよぷよした肉体を支えたような感じでもある。漆器の ×× のいゝことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。人は、その ×× の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁(ふち)がほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつゝあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口に啣(ふく)む前にぼんやり味わいを豫覚する。(中略) それは一種の神秘であり、禅味であるとも云えなくはない。