定礼

バングラデシュの農村部でのグラミンの活動他を見ていると、自分が一時期住んだことがある福岡県宗像郡で行われていた「定礼」のことに必然的に連想がいく。日本のUHC (Universal Health Coverage) においてユニークだとされる「国民健康保険」の成立の歴史について書かれた『国民健康保険少史』には次のようにある。

 

国民健康保険制度は,農村などにおける郷土的団結を利用して,町村の区域により互助組合といつた組織を作らせ,これに健康保険事業を行わせようとしたものである。そこで当時としては,果してそういう組織が,農村などにできるであろうかという疑問があつた。(中略) このような制度が農村社会の本来の性質に適合しているものであるとするならば,多数の町村の中には,すでにこの種の事業を行つている所が存在するであろうと考えられたのである。すると偶々,福岡県及び熊本県でこの種の組合のあることが発見されたのである。殊に 福岡県では,宗像郡,鞍手郡等の地方にわたつて,この種の組合を設けている部落が,数十の多数に達し,いずれも数十年,古いのは百年以上の歴史を有していたのである」。

 

このとき「医療互助組合」が再発見されたのは、宗像郡に11ヶ所 (神興村の手光, 津丸,八並。上西郷村の畦町,本木,上西郷,内殿,舎利蔵。池野村池田。 岬村鐘崎。一島一村の大島村),鞍手郡に8ヶ所(若宮村の福丸,金生。山口村の野中,ケヶ谷,畑,里,小原。吉川村の三ヶ畑) であった。

 

その組合では,「定礼」または「常礼」という名称が用いられており、意味的には「所得に応じた定額の謝礼を医師に支払う」「常々健康を診てもらっているので,その礼を欠かしてはならぬ」といったことらしい。住民は医師に定期的に定額の謝礼を支払い,無料または一部負担のみで診療を受けていたということである。たとえば上西郷村 (現福間) 舎利蔵では,それぞれの家を資産割で三等分し白米で謝礼を支払っていたというが、米が足りないときは区の共有林を切り出して補ったり「講」を立てたこともあったという。舎利蔵村の定礼は、天保6年 (1835 )頃にはすでに始まっていたと見られている。