ジャン・ルノワール自伝

ジャン・ルノワール監督が書いたものは、みすず書房から発行されている翻訳の『ジャン・ルノワール自伝』しか読んだことがないし、それとて何度も繰り返し読んだという記憶はない。学生時代に買ったものだが、奥付けをみると1977 年 7月 5 日発行になっている。

 

印象に残っているのは、ジャンが父親のオーギュストについて書いている部分である。

 

「手」が一枚加わらないような仕事は、父には全然信用がなかった。インテリはうさん臭い連中だった。「世の中に害毒を流すのは奴らなのさ。物を見ることも、聞くことも、触(さわ)ることも知らない連中なんだから」と言っていた。

 

想像力という奴を常々胡散臭く思っていた父ルノワールはよく言っていたものだった、「何か実物から出発しないで、きみが木の葉を描くとする。すると単調になる危険を冒すことになるぜ。なぜなら君の想像力って奴が思い浮かべることのできる木の葉の数は、ほんの数枚だからね。ところが自然ときたら、何百万枚だって、それも一本の同じ樹だけで見せてくれる。まったく同じ葉っぱが二枚あるってことがないんだから。己(おの)れ自身を描こうとする芸術家は、たちまち相も変わらぬ自分を繰返すことになってしまうんだ。」

 

もちろんオーギュストは、作品とはモデルを忠実に再現することだといっているわけではない。ある絵画に感動する場合に、人はそれが絵のモデルにそっくりだから感動するのではなかろう。それは、文学作品を映画化した場合に「原作に忠実でない」からといって批判するのが馬鹿げた話であるのと同じである。

 

ジャンは映画作家としての自分を「産婆」みたいなものだと語っている。それはモデル (ルノワールの場合は一人の人間としての役者であり原作ではない) の中に存在するが潜在的な状態に留まっているものを「輝かしくも見事な瞬間」として取り出すために、あらゆるものを総動員して (ときには物語を無視してさえ)「手」を貸してあげることを意味しているのだと思う。

 

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