ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

Fats Domino と Elvis Presly

Fats Domino, Early Rock ’n’ Roller With a Boogie-Woogie Piano, Is Dead at 89 - The New York Times

合掌。

高校を卒業したエルヴィスは、メンフィスのサン・レコーズのスタジオを訪れ、4 ドル払ってレコードを吹き込む。そこでは 4 ドル払えば誰でも個人レコードを作れたのである。いったいどうやって発声しているのかと思うその声の魅力に店員の女性もやはり抗えなかったらしく、エルヴィスの録音をそのままテープに残しておいた。それがスタジオの主人であったサム・フィリップスの耳にもとまり、エルヴィスを探してオーデションを受けさせることになる。1954 年 7 月 5 日にその音楽史に残るオーデションは行われた。しばらく試行錯誤して少し休憩をとろうとしたときに、黒人歌手のアーサー・クルーダップが 7 年前に作って歌った “That's All Right” をエルヴィスが歌った。スタジオはそのとき大騒ぎになったという。レコーディングが終わったとき、ベーシストのビル・ブラックは、

Damn. Get that on the radio and they’ll run us out of town.

と語ったというのは神話になっている。「こんなヤバイやつがラジオで流れたら、俺たち町から追い出されるぜ」ぐらいの意味であろう。当時、黒人と白人の間の差別が厳然として存在する南部の都市メンフィスで、白人が黒人の歌いかたをすること。しかも、黒人とはまた違ったやり方で。ジャズは黒人が白人の音楽を模倣しようとして生まれたが、今度は逆の模倣が働いた。その模倣は、もちろんエルヴィスが初めてというわけではない。米国では黒人の音楽と白人の音楽の間を越境するダイナミズムが歴史的に常に働いているのであり、エルヴィスはその歴史的なパフォーマンスをもっとも素晴らしく演じてみせた代表的な一人である。

よく引用されるインタビューでエルヴィスは、こう語っている。

The colored folks been singing it and playing it just like I’m doing now, man, for more years than I know. They played it like that in their shanties and in their juke joints and nobody paid it no mind ’til I goosed it up. I got it from them. Down in Tupelo, Mississippi, I used to hear old Arthur Crudup bang his box the way I do now, and I said if I ever got to the place where I could feel all old Arthur felt, I’d be a music man like nobody ever saw.

※ Tupelo, Mississippi は、エルヴィスの生誕の地。

「アーサー・クルーダップが感じたことを自分も感じられる境地に達したなら、そのときこそ、誰も見たことがないようなミュージシャンに自分はなれるぞと思った」という発言こそ、模倣が創造となる秘密を解き明かしているような気がする。ニューヨーク・タイムズの追悼記事には、エルヴィスが

Nobody can sing that music like colored people. Let’s face it: I can’t sing it like Fats Domino can. I know that.

と語ったとある。人は模倣しようとしてそれに失敗したとき、はじめて創造するのである。シネマテークで過去の映画を浴びるように見たヌーヴェル・ヴァーグの監督たちは、エルヴィスとまったく同じ趣旨の発言をしている。