80年代初頭の日本映画のことなど

邦画が頑張っていて市場占有率を上げたことはすでに書いたが、映画産業は最近シネマコンプレックスの形態だとは思うがスクリーン数も増え、観客数もわずかであるが上昇している。映画ぐらい面白いものはこの世にはないと思っている一ファンとしては素直に喜びたい。

 

現在の邦画の市場占有率は、80 年代の初期の角川映画が台頭していた時期ぐらいには戻ってきているのだろう。70 年代の終わりから、80年代の初めって本当に東京で見られるアメリカ映画に限界を感じていた。たとえば、ドン・シーゲル監督の『ラスト・シューテスト』(1976, The Shootist) がジョン・ウェインの死後になってやっと公開されていたことを未だに腹立たしく思い出す。この映画は、1979 年 6 月 11 日癌で亡くなったジョン・ウェンの遺作である。この映画が 1979 年 7 月に渋谷の映画館でやっとロード・ショー公開されたのを見に行ったことを今でも覚えている。つまり、日本ではジョン・ウェインが亡くなった後に、やっと 映画を公開したのである。その当時聞いた話だと、なんでも『キング・コング』(もちろん、リメイクの方)と一緒にというか、付け足しで買ったものの長い間お蔵入りになっていて公開されず、ジョン・ウェインが亡くなると、それじゃあということでやっと公開したものらしい。『キング・コング』というコンピュータ制御のぬいぐるみが話題で「見世物映画」が主流だった時代とはいえ、クリント・イーストウッドが師匠として尊敬しているドン・シーゲルが監督し、出演者として、ジョン・ウェインローレン・バコール、ジェームス・スチュワート、ロン・ハワードが登場する映画をお蔵入りさせることに、罪の意識すら感じない時代が 70 年代の終わりであった。ともかく新作でも日本に来ないアメリカ映画があったし、名画座でもあたり前な作品(『ローマの休日』とか『理由なき反抗』とか一連のニューシネマとか)しかやっていなかった。サミュエル・フラーの『最前線物語』(1980) とか、ローバート・オルドリッチの『カリフォルニア・ドールズ』(1981) とか、クリント・イーストウッドの『ファイヤー・フォックス』(1982) とかいう例外はもちろんあったけど。

 

 

その一方、日本映画に関しては、まだましで色々な作品が見られたと思う。

 

1980年は、相米慎二が『翔んだカップル』で監督デビューした年だし、大森一樹が『ヒポクラテス』、横山博人が『純』、黒沢清が 8  mm の自主映画で『しがらみ学園』、柳町光男が『火祭り』を発表した年であり、ようやく日本映画に「新しい波」が起き始めた年だった。最近回顧上映された日活ロマンポルノの傑作を作った監督達も現役であった。スタジオ・システムはほぼ完全に崩壊し、インディペンデントの作家たちを支援する仕組みさえないこの苦しい時代でさえ、保護されたシステムの中ではなく個人の資格でなんとか作品を作ろうという人たちがいたし、日本映画の未来に勇気を与えてくれるような過去の作品が上映されていた。

 

ちょっと思い出すだけでも、「牛込文化」では、小沼勝の『女教師・甘い生活』『女教師・少年生活』『犯されて』や神代辰巳の『赤線玉の井 抜けられます』を見たし、「ギンレイホール」では、小原宏裕の『桃尻娘 プロポーズ大作戦』『桃尻娘 ピンクヒップガール』『桃尻娘 ラブアタック』の「桃尻娘三部作」を見たし、神代辰巳の『赫い髪の女』、藤田敏八の『エロスは甘き香り』、田中登の『女教師』、曽根中生の『大四畳半大物語』、相米慎二の『翔んだカップル』を見た。「文芸座」では、藤田敏八の『八月の濡れた砂』『バージン・ブルース』『炎の肖像』(加藤彰と共同監督)、長谷部安春の『俺にさわると危ないぜ』『皆殺しの拳銃』『野獣を消せ』『女番長・野良猫ロック』『流血の抗争』、西村潔の『死ぬにはまだ早い』『白昼の襲撃』『豹は走った』、豊田四朗の『墨東綺譚』『雪国』『猫と庄造と二人のをんな』『夫婦善哉』を見た。「フィルムセンタ-」(焼ける前) では、マキノ雅弘の『日本侠客伝・血斗神田祭り』『仇討崇禅寺馬場』、清水宏の『有りがたうさん』、山本嘉次郎の『綴り方教室』、島津安二郎の『隣の八重ちゃん』、伊丹万作の『赤西蛎太』、沢島忠の『人生劇場・飛車角』、工藤栄一の『十三人の刺客』を見た。「佳作座」では、寺山修司の『上海異人娼館』。「文芸地下」では、寺山修司の『消しゴム』『書見機』『疱瘡譚』『トマトケチャップ皇帝』、田中登の『㊙︎色情めす市場』、深作欣二の『仁義の墓場』、稲垣浩の『一心太助』、マキノ雅弘の『浪人街』、黒沢清の『しがらみ学園』、神代辰巳の『嗚呼!おんなたち・猥歌』を見た。「日勝文化」では、中島貞夫の『唐獅子警察』、田中登の『安藤昇のわが逃走とSEXの記録』を見た。「鈴本キネマ」では、田中登の『人妻集団暴行致死事件』、曽根中生の『太陽のきずあと』『博多っ子純情』、満友敬司の『俺は田舎のプレスリー』、鈴木則文の『エロ将軍と21人の愛妾』、神代辰巳の『少女娼婦 けものみち』、武田一成の『女の細道』を見た。「丸の内東映」では、野田喜男の『0課の女・赤い手錠』、「有楽シネマ」では神代辰巳の『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』、「川崎銀星座」ではマキノ雅弘の『昭和残侠伝・唐獅子仁義』を見た。「ヤエス松竹」では、曽根中生の『天使のはらわた 赤い教室』『天使のはらわた 女高生』、田中登の『天使のはらわた 名美』を見た。

 

上記の作品で、神代辰巳の『少女娼婦 けもの道』なんか、別に神代監督の傑作ではないが、撮影は姫田真佐久で、この作品だけにしか出てこない「新人女優」吉村彩子と内田裕也が出演していて、たいした作品ではないと思いつつも当時は感動したと見えて、2回見た記憶があるし、映画の中で、新井英一が『カラス』という曲を歌っていて、思えば新井英一を覚えたのもこの映画だった。

 

マキノ雅弘監督、高倉健藤純子主演の傑作「昭和残俠伝 死んで貰います」(1970) は川崎のどの映画館か名前を忘れてしまったたけれど、少し遠かったが時間を確認して出かけたことがある。その映画館に入るのは初めてだった(そして最後でもあった)。その頃は汚ない映画館にはもうすっかり慣れっこになっていたつもりだったが(昭和の名画座は汚かった)、そこは少々度を越してはいまいかと思わせる独特の雰囲気があった。しかし、照明が落ちてしまえばそれもやがて気にならず、映画が始まってマキノ雅弘監督の演出の巧さにわざわざ見に来て大正解だったと満足を感じ、高倉健藤純子の大きな樹の下での出逢いのシーンの美しさに思わず涙ぐんでいると、突然右の膝のあたりに妙な感触を感じ、視線をスクリーンから名残り惜しく移動させると、右隣に座っていたいかにも不潔そうな無精髭の年嵩の男が自分の右膝に手を載せている。

 

「テメー、いったい何しやがるんだ」

 

とその男を怒鳴りつけたかったが、健さんの前で、そんな三下ヤクザのような下品な振る舞いに及ぶようなはしたない真似もできず、懐にドスも忍ばせていなかったので、健さんの目力にはとうてい及ぶべきもないが、グッとその不埒な男を睨みつけてから立ち上がり、なるべく離れた別の空席に黙って移動したのであった。この経験は、その数週間前に見た映画が現実に反映したという点で忘れられない。数週間前に見た映画とは、エリック・ロメールの『クレールの膝』(1970)であり、該当するシーンは、下の YouTube に示されている名高い場面である。

 

 

 

この映画は、簡単にいうとクレールという少女(ベアトリス・ロマン)の膝に思いを寄せる男(ジャン=クロード・ブリアリ)が、雨宿りにかこつけて遂に少女の膝をさすってその思いを遂げるという映画である。実は、この映画をアテネ・フランセで見た後、どういう経緯か忘れたが、今では大学の映像コースで教鞭を取っておられる方とこの映画についてお茶を飲みながら話しをしたのである。話しといっても、このネストール・アルメンドロスが撮影した映画を見て興奮している自分達のことはすっかり棚に上げてしまって、ひたすら「ロメールは要するに変質者ですよね」という内容を変奏していたに過ぎない。あの最初で最後だった川崎の映画館の出来事は、ロメールの悪口をたたいた罰なのだろうか。もし、それが罰だとすれば、その罰は一緒に悪口を言った相手の方にも当たって然るべきだが、今になってそれが実際に起きたかどうかをあえて本人に確認する気にはとてもなれない。

 

アメリカ映画はあまり見られなかったが、当時はヌーベル・バーグの作品なんかは、フィルム・センターやシネクラブでまだ見ることができた方であった。全部の記録は残っていないが、以下に挙げておく。

 

フランソワ・トリュフォーの『あこがれ』、ジャン・ルノワールの『どん底』、マルセル・カルネの『北ホテル』、ダニエル・シュミットの『ラ・パロマ』、パトリシア・モラの『インディアンはまだ遠くにいる』、ルイス・ブニュエルの『昼顔』、マルグリッド・デュラスの『インディアン・ソング』、ロベール・ブレッソンの『ブローニュの森の貴婦人たち』なんかは、アテネ・フランセで見た。

 

ロベール・ブレッソンの『やさしい女』『スリ』、フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』、ジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』、ジャック・ドゥミ-の『シェルブールの雨傘』、エリック・ロメールの『クレールの膝』、ジャン・ピエール・メルヴィルの『仁義』『サムライ』、マルセル・カルネの『悪魔が夜来る』、ジャン・ルノワールの『トニ』『牝犬』『黄金の馬車』、ジョルジュ・フランジュの『山師トマ』、ジャン・コクトーの『双頭の鷲』、ジャック・ドワヨンの『小さな赤いビー玉』、ジャン・リュック・ゴダールの『女は女である』なんかは、日仏学院でみた。

 

ゴダールの『男の子はみなパトリック』『女と男のいる舗道』『中国女』『ブリティッシュ・サウンド』『ウィークエンド』『東風』なんかは、カトル・ド・シネマでみた。

 

トリュフォーは、渋谷のパルコ西武劇場で全作上映があった。

 

ニコラス・レイの『にがい勝利』はスペース50でみていて、この作品は日本では未だに DVD になっていないと思う。