臨時増刊号

慌ただしくインドから帰ってくると、予約注文していたユリイカの総特集『蓮實重彦』が届いていた。もちろん、詳細に眼を通す時間なぞないが、今回初めて確認したのは、僕が東大の蓮實さんの映画ゼミに出席していたのは1979 年から 3 年間で、中田秀夫が初めて出席したのが 1980 年だから、やっぱり中田秀夫と重なっていたのだということだった。同じ1980年には、立教でやっていた方の「映画表現論」に塩田明彦が出席したとある。周防正行は1981年だから、これも重なっている。青山真治は、1984年だからギリギリ重なっていない。黒沢清万田邦敏は、1975年と1976年だからだいぶ先輩であり、パロディアス・ユニティはすでに有名で憧れの存在だったし、『しがらみ学園』は当然リアルタイムで見ている。僕が蓮實さんの名前を知ったのは、高校三年生の春休みに映画同人誌『シネマグラ』を見かけたのが最初だと思う。

 

中田秀夫の文章にある「外国映画に関する10の名詞、固有名詞、日本映画に関する10の名詞、固有名詞」云々のくだりを読んでいて、いままで1979 年だと思いこんでいたのだが、もしかしたらそれは自分の記憶違いで 1980 年のことではなかったかと思い始めている。

 

いままでの記憶はこうであった。曽根中生監督の『天使のはらわた 赤い教室』(1979) が学生になって上京して初めて見た日活ロマン・ポルノであるが、早速、この映画で「水原ゆう紀」の名前を覚えた。それで、翌週、蓮實さんの映画ゼミを受けようと思って初めて教室(駒場の旧二号館)に行ったら、いきなり試験があって、これから出てくる固有名詞について、なんでも自由に記述せよというものだった。蓮實さんが口にした固有名詞のひとつに「水原ゆう紀」の名前があった。蓮實さんは、試験の後、あの日本人離れした白い肌に、あの真っ赤な口紅はすごいみたいな解説をされたと思うが、その言葉に妙に感心してやっぱり大学はすごい、知のレベルが違うと思った。

 

しかし、「真っ赤な口紅」は、『ナオミ』に触れてのことだったような気もしてきており、そうすると 1980 年の出題で、日本映画に関する10問のうち、2 問は中田秀夫が書いている「ツィゴイネルワイゼン」「田中陽造」だとすると、その他の設問に「水原ゆう紀」があったということになる。