ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

上海リル

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前回の記事の最後では、ロイド・ベーコン監督の『フットライト・パレード』(Footlight Parade, 1933) の中のクリップを使用したが、使われている曲は “By a Waterfall” で、この映画の主題歌として日本語で歌われたレコードも発売されている。歌っている三上静雄は、タイヘイやポリドールに所属していた日置静の変名である。

瀧の傍にて:

この映画『フットライト・パレード』では『上海リル』(Shanghai Lil) も歌われた。作曲はハリー・ウォーレン、作詞はアル・デュービンであり、以前の記事で紹介した “Coffee in the Morning and Kisses in the Night” と “The Bulebard of Broken Dreams” とは、作曲、作詞とも同じである。ハリー・ウォーレンの方は、映画の主題歌の作曲で非常に有名で、アカデミー主題歌賞に11 回ノミネートされ、3 回オスカーを取った。なお、グレン・ミラー楽団やアンドリューズ・シスターズの定番のナンバーで、 史上初のゴールド・レコードにもなった “Chattanooga Choo Choo” は、この人の曲である。

映画『フットライト・パレード』で『上海リル』を最初に歌うことになる歴史的人物は、ジェームズ・キャグニーである。

「上海リル」を演じたのは、すでに『四十二番街』(1933) のカラー映像を示したルビー・キーラーである。歌って踊って演じることができる三拍子揃った彼女だが、特にタップダンサーとして有名で当時、あのアル・ジョルスンと結婚していた。

ところで、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の傑作『上海特急』(1932) は、この映画のわずか一年前の作品であるが、マレーネ・ディートリッヒのそこでの役名は誰もが知っているように「上海リリー」であったことを指摘しておく。

日本で昭和二十年代後半に、津村謙が歌ってヒットさせた『上海帰りのリル』は、明らかと言えるほどの影響はあるものの『上海リル』とは違う曲で、作曲者は渡久地正信という人である。島耕二監督による映画『上海帰りのリル』(1952) も作られて香川美子が「上海リル」を演じた。津村謙には『リルを探してくれないか』『心のリルよなぜ遠い』という曲もあり、紀比呂子の母である三條美紀のレコード・デビュー曲は『私がリルよ』であった。なお、根津甚八が 1982 年に『上海帰りのリル』をカバーしている。

 

 『上海リル』の方も、戦後では鶴田浩二を始め多くの人が歌っている。戦前では川畑文子が歌ったものがあり、作詞は三根徳一 = ディック・ミネとなっている。なおディック・ミネは自身でも歌ったレコードも残している。

他にも探せば、多数のカバーがあるに違いないが、江戸川蘭子が歌ったものをあげておく。

米国でも映画と同時に “Shanghai Lil” は様々なアレンジで多数のレコードが出ていて、まさに20 世紀は「複製アートの時代」だということを実感させる。映画が公開された同じ年には、すでにイタリア語で歌われた『上海リル』すら存在するのだ。ここでは、Rudy Vallee  のものだけ挙げておくことにする。

 

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