もっと正直になろう

YouTube にあるナンシー・シナトラの例のクリップは、すでに一億回の視聴を超えており、その数は日本の現在の人口に匹敵しつつある。

 

 

その数字をみると「なんだ、もっと正直になればいいのに」という感慨に捉われる。そんなに、異常者呼ばわりされることが怖いのだろうか。

 

1950 年代「以降」とそれ「以前」を区別することは、歴史的に見て「戦前」「戦後」の抽象的区別よりも遥かに重要であると思う。50年代より前には、明らかに表現の「特異点」というべきものは、女性の「脚」であった。それは、50年代以前の、特に黄金期のハリウッド映画を見ているものにとって、今さら指摘するまでもない事実である。

 

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 『港々に女あり』のルイーズ・ブルックス

 

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『緋色の街/スカーレット・ ストリート』のジョーン・ベネット

 

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 『戦場よさらば』のヘレン・ヘイズ

 

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 教授と美女』のバーバラ・スタンウィック

 

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『特急20世紀』のキャロル・ロンバード

 

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嘆きの天使』のマレーネ・ディートリッヒ

 

以下のクリップは、『男子入用』のケイ・フランス。

 

ダンスにしても、脚の動きに比重のあるチャールストンが流行した。

 

 

 

以下のクリップは、『四十二番街』のルビー・キラーのタップ・ダンスのシーンで、当時は珍しいカラーである。

 

 

 

50年代以降、つまりジェーン・ラッセルやマリリン・モンローといった「グラマー」の意味を変質させた女優の登場あたりから、「脚」の覇権は徐々に崩れ始め、より直接的な露出が顕著になり、いかにも若者が喜びそうな裸体そのものの「大胆な」露出によって、大人でも楽しめる女性の官能表現は姿を消していく。

 

ダンスにしても、60年代のゴーゴー・ダンスに代表されるように足を動かさず、体幹部をくねらせる踊りが一般的となっていく。同じ時代に存在していたことが恥ずかしくなるような映像で、ここに引用するのも嫌でたまらないのだがクリップをつけておく。実際には、ほとんど動いていないにもかかわらず、映像のスイッチングで見せかけの運動を演出するという、いかにも60年代的な欺瞞的観念性に満ちている。

 

 

 こうやって見ていくと、ナンシー・シナトラの最初の映像は極めて特別な例外なのかもしれないが、現代における真のニーズはどこに存在しているかを示している気もする。

 

最後にタイトルからして「フット」が存在するロイド・ベーコン監督の『フットライト・パレード』(1933, Footlight Parade) のレビューの一シーンを紹介して終わる。バスビー・バークレーが全盛期であった頃のプレコード時代の作品である。