意識が飛ぶ

普段、自分からテレビをつけることなど、ほとんどといってないのだが、家庭内の勢力関係によって、食事どきなどは嫌でもその映像が目に入ってくる。いや、最近のテレビは映像を見るものではなく、そこに出てくる無意味な文字を見るものらしい。そこには「ノリノリ」という文字が映っていた。あ、またやってしまったと思いながらも、その瞬間、意識は飛んでいって退屈な平成日本を作り上げるのに多大な貢献をしているテレビの画面はどうでもよくなってしまう。最近、その飛んでいく先は戦前だとか新興国とかが多い。で、「ノリノリ」が連れて行ってくれたのは、服部良一の『夢去りぬ』を聞いたばかりなので『ワンダー・ラグ』であった。

 

 

しかし、『ノリノリ』なんて「古い」言葉がなぜ平成日本に未だに踊るのだろう。それは、もしかしたら、「過去」を無視して抽象化する一方で、「現在」には盲目的に同調したり、その消費にかまけるあまり、たとえば『ピクニック』という曲が戦後の歌だと思っているのと同根なのかもしれない。