ドロレス・デル・リオについて (その1)

最近ドロレス・デル・リオの海外記事を頻繁に見るなと思っていたら、Google Doodle が米国とメキシコで彼女の誕生日(8月3日)をお祝いしたのである。お陰で彼女の未見の写真をたくさん見ることができた。というわけでもないが、以前書いたドロレス・デル・リオの記事を少しだけ手直しして挙げることにする。

 

当時、百万人の読者を抱えたという、大日本雄弁会講談社の雑誌『キング』に、菊池寛が『東京行進曲』を連載したのは、1928年 6 月から 1929 年 10 月にかけてのことである。溝口健二監督の『東京行進曲』の公開は1929 年 5 月 31 日で、小説の連載の方はまだ完結していない時である。佐藤千夜子が唄った映画主題歌『東京行進曲』(作詞: 西條八十、作曲:中山晋平)のレコードがビクターから発売されたのは、映画の公開とほぼ同時の 5 月のことである。レコードは 8 月には 10 万枚、9 月には 15 万枚が売れたという。日本初のレコード歌手か知らないが、佐藤千夜子の歌は聴きたくないので 、リンクは貼らず 4 番まである歌詞をここに書きだしてみる。

 

昔恋しい 銀座の柳
仇な年増を 誰が知ろ
ジャズで踊って リキュルで更けて
明けりゃダンサーの 涙雨

 

恋の丸ビル あの窓あたり
泣いて文書く 人もある
ラッシュアワーに 拾った薔薇を
せめてあの娘の 思い出に

 

ひろい東京 恋ゆえ狭い
粋な浅草 忍び逢い
あなた地下鉄 わたしはバスよ
恋のストップ ままならぬ

 

シネマ見ましょか お茶のみましょか
いっそ小田急で 逃げましょか
かわる新宿 あの武蔵野の
月もデパートの 屋根に出る

 

この歌詞で第 4 番は 第 1 番とともに、つとに有名である。「いっそ小田急で逃げましょうか」は、駆け落ちすることを「小田急る(オダキュール)」と呼ぶ造語まで生んでいる。「シネマを見る」映画館は 1928 年に移転した新宿武蔵野館であること、「お茶をのむ」のは、1927 年に喫茶部を開設した新宿中村屋であることは容易に想像がつくだろう。問題は、「シネマ」は、小説において何の映画を二人で見に行こうとしているかということである。原作では、映画で入江たか子が演じた小百合から、佐久間(映画では小杉勇が演じた)宛に、バラの花の封印紙が貼り付けられた純白の西洋封筒が届く。その手紙の文面は以下のようになっている。

 

(以下引用)

あなたは、武蔵野館に連れて行って下さると、お約束したのにそれぎりなのね。
ひどい方!

 

わたし、今度のドロレス・デル・リオを見たいの。それも、貴方と御一しょに、ゼヒ。デル・リオお嫌ひ? わたし大好きなのよ。

(引用終わり)

 

それでは、小百合と佐久間は、ドロレス・デル・リオの何の映画を新宿武蔵野館で見たのだろうか?それは、1928年米国公開のエドウィン・カリュー監督の『熊馴らしの娘』(Revenge) というサイレント映画である。1928年、ドロレス・デル・リオは、同じカリュー監督の『ラモナ』を含む 6 本の映画に出演しているが、いずれも外国人の女性役である。『熊馴らしの娘』はジプシーの役であった。

 

『熊馴らしの娘』は、残念ながら未見である。同じカリュー監督の『ラモナ』(1928, Ramona)はいったん消失したと考えられていたが、プラハでプリントが発見されデジタル修復がなされ、YouTubeでほんの断片であるが見ることができる。

 

『ラモナ』は、映画公開前に同名のレコードが発売されており、メディア・ミックスの最も初期のものと考えられ、『東京行進曲』は『ラモナ』のプロモーションを真似たのではないだろうか。レコードはドロレス・デル・リオが英語とスペイン語で歌っているものがそれぞれ残っており YouTube で聴ける。非常に美しい曲なので是非実際に聴いてみて欲しい。

 

 

※ 9.19 残念なことにスペイン語版は削除されてしまった。

 

『ラモナ』は、日本ではザ・ピーナッツ細野晴臣が歌っているし、戦前では渡邉はま子やディック・ミネが歌っている。

 

※ 1938 年

 

海外でもデル・リオのレコード発売とほぼ同じ時期から多数のカバーが残っている。

 

 

 

 

中でもスペイン出身の偉大なテノール歌手、アルフレード・クラウス・トルヒージョによるものは、素晴らしいと思った。

 

 

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