ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

ボインが好きな「ベッド」と残念な「ベット」

西洋から輸入され、睡眠やその他の目的にも供される「台」のことを英語では “bed” という。

この語の発音が日本語の体系に移行するとき、「モーラ」と呼ばれる「拍(はく)」を作る必要から「ベ」と「ド」の音が生じる。

なんとも不可思議な「原音主義」が、さらに促音「ッ」を新たに導入して二つのモーラの間を滑らかに繋ぐことで、それを英語の音としてみんなで錯覚しようと提案する。

その原音主義は、かつてハリウッド俳優であった Ronald Reagan の「リーガン」を break の ea と同じ発音で「レーガン」とこれから呼ぶことにしようという米国の政治的圧力に醜く屈してしまうメディアにいたるまで過去から遍く広まっているものである。

「しかし」と、「原音主義者」の中の原理主義者の一人が呟く。まだ問題があるではないか。その問題とは、「ベッド」の「ド」には、原音にはない母音が含まれていることである。そのゆゆしき問題を解決するために「ド」ではなく、「頑張って軽く読む」ことで半濁音の「ト゜」と読もう。それこそが「原音主義」により忠実な態度である。

ここで起きたことは、「母音の無声化」というまるで撞着語としか思えない用語で表現されることになる。つまり、「息の音」だけで声帯を震わせることなしに「母音」を発音しようという驚愕すべき日本的発明である。

残念ながらその試みは現実にうまく機能したとは言いがたい。なぜならば、原理主義者にとって「ト゜」でも、周りには「ト」としか聞こえてないからだ。

まだしも、「ベート゜」と読めば、より原音に近い発音が得られたはずであるが、歴史に「もしも」はないのである。また「ベー」と表記したとしても「ー」の後に喉を絞めて区切りをいれてしまえば、結果はおなじである。

こうして、「ベット」という表記も誕生した。いかにも残念な表記である。

日本語の体系では濁音というと「子音+母音」の組みあわせがこの順序でほぼ同時に発音される場合しかないが「母音+子音」の順序だって一緒に発音されれば濁音になるんだけどなあ。

以上は、冗談だと思うかもしれないが、あるインターネットのサイトで、「語末の d, g などが言えない」という質問の回答にたいして、「たとえば、bad といいたい場合は、少々頑張って語尾の d を軽く発音してください」という回答が実際にある。

その回答に対して、「『頑張って』『軽く』とはどういうことなのですか」とさらに質問があり、「 日本人は、『軽く』発音することが苦手です。ですから、頑張らないと、軽く発音することができないので、『頑張って、軽く』発音して下さい。」とあったのである。