Alexander’s Ragtime Band

アーヴィング・バーリンの最初の大ヒットである『アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド』(1911) のベニー・グッドマンによる演奏と服部良一の『ワンダー・ラグ』の聴き較べ。

 

踊らん哉

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時間があったので、『スイング・ホテル』に出ていた女優マージョリー・レイノルズがレイ・ミランドの相手役として主演しているフリッツ・ラング監督の『恐怖省』(1944, Ministry of Fear) か、マーク・サンドリッチ監督の作品をもう一本ということで『踊らん哉』(1937, Shall We Dance) かのどちらかを続けて見ようと思って結局後者にした。

 

『踊らん哉』はもちろんフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのコンビが残した傑作であり、その音楽やダンスの素晴らしさは今さら説明も要らないと思うが、今回、この作品を見直して強く感じたのは、作品の主題の現代性についてであった。複製が大量に出回ることでオリジナルを逆に複製の方が規定してしまう事態についてはすでに何回も触れたが、この作品はまさにそのことを主題にしている。ゴシップ紙の報道は常にアステアとロジャーズの間の関係を先回りして報道してしまい、実際の二人の関係はその虚偽の報道によって動いていく。新聞に報道される写真は、ロジャーズの複製である人形だし、最後の “Shall We Dance” のシーンは、文字通りロジャーズの仮面をつけた踊り子が多数登場し、そのロジャーズの仮面をつけた踊り子の一人にやがて本物のロジャーズの顔が紛れこむ。前の記事でも述べたが、マーク・サンドリッチの作品がしばしば正当な評価を受けないのは、映画におけるプラトニズムを転倒させているその現代性のためだと思う。

 

周辺的な話題であるが、フレッド・アステアは、RKO 映画の前は姉のアデールとコンビでブロードウェイで踊っていた。

 

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アデールはやがて英国の貴族と結婚したためコンビは解消したのである。この映画に音楽を提供しているジョージとアイラのガーシュイン兄弟が最初にブロードウェイのために曲を作ったのが "Lady, Be Good" であるが、このミュージカルにフレッドとアデールは出演していた。実際、フレッドが歌いかつタップの音を響かせ、ガーシュインがピアノを弾いているレコードが残っている。この作品でアステアは久しぶりにガーシュウィン兄弟と仕事をしたのである。

 

 

フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのコンビがはじめて「主演」した作品はマーク・サンドリッチ監督の『コンチネンタル』(1934, The Gay Divorcee)であり、本作は『コンチネンタル』から数えると六作目の二人の共演ということになる。『コンチネンタル』でコール・ポーターの ”Night and Day” を歌ったアステアが、優雅なステップを踏みはじめる瞬間は見るたびに、ただ、ただ素晴らしくこのカップルの真の始まりはこの瞬間であると感じさせる。

 

『踊らん哉』のナンバーはいずれも素晴らしいが、”They Can’t Take That Away From Me” を紹介して、他の歌手によるものもあげておく。例によって、アステアが歌ったときにはあったイントロのヴァースは消えている。なお、アステアの歌の後で紹介されているダンスは、チャールズ・ウォルターズ監督の『ブロードウェイのバークレー夫妻』(1949, The Berkleys of  Broadway) からのもの。

 

 

個人的には下のナンバー (Let’s Call the Whole Thing Off) がお気に入りである。

 

二人のダンス。もちろん見れば素晴らしいことはわかると思う。

 

 

 

 

スイング・ホテル

マーク・サンドリッチ監督の『スイング・ホテル』(1942, Holiday Inn) を見たんだが、ボゼージの『幸運の星』といい、山中貞雄の『河内山宗俊』といい、トッド・ヘインズの『キャロル』といい、雪のシーンが印象的な映画のことばかり最近書いている気がする。つい最近もどうでもいいことで斎藤由貴をテレビの情報スクリーン (「画面」とはいいたくない) で見かけて、不図、彼女の映画初出演は、早逝された相米慎二監督の『雪の断章 情熱』だったことを冒頭のすごい長回しとともに思い出し、もう一度その作品を見ようと思ったら、DVDが原作のどうでもいい作家の意向かなにかの関係で出ていないことを知って怒りがこみあげたばかりである。たった十数本しか作品を残しておらず、日本の 80 年代の数少ない優れた映画作家の作品だからこそ、処女作である『翔んだカップル』から始まる作品が封切られるたびにワクワクしながら映画館に駆けつけてリアルタイムで見ていた人間としては、原作が誰であるとか、作品が原作に忠実かどうかなんて本当にどうでもよいことである。もっとも斎藤由貴に関しては映画出演の前からレコードを擦り切れる程聴いたし、彼女の出演映画はほとんど見た記憶がある。

 

脱線した話を元に戻すと、グリフィス監督の『東への道』(1920, Way Down East) を思い出すまでもなく、いくらハリウッドが陽光に恵まれた地とはいえ、映画の画面には過去から数々の雪が登場している。ジョン・フォードの作品を始めとして過去の作品を改めて見直してみるとこの作品にも雪が出ていたのかと驚かされるものが数多くあるに違いない。その中には小津の『母を恋はずや』のようにロケーションの予定日にたまたま雪になってしまい、その雪の画面が作品の中で最も印象的なものになったという例も含まれている。

 

『スイング・ホテル』は物語の「語り」が主に米国の祝日にあたる時であり、舞台で展開される場面も祝日が記念している出来事に基づいて決定される。祝日に沿って語られる「物語上の」時は二年ほどであり、その間クリスマスの出来事が計三回も語られるわけで、その三回とも絵に描いたような雪が降っており、三回目は、それがハリウッドのスタジオで人工的に降らせている雪であることが撮影風景とともに観客にも示されるところが興味深い。つまり、「本当らしさ」が少ない正直な作品であるところに好感が持てた。マーク・サンドリッチの映画って全般に物語のあまりの単調さや馬鹿らしさが映画 (のメッセージやストーリー) について何か「ひとこと」発言したくてたまらない自称「映画好き」をイライラさせることが多いらしく、そういう意味でも貴重である。音楽でいえばアーヴィング・バーリンの『ホワイト・クリスマス』と服部良一の『風は海から』が世界大戦の最中のほぼ同じ時期に映画の主題歌として作られていることに気がついて感動した。

 

 

クリスマス・ソングの続き。

 

1934 年は “Santa Clause Is Comin’ to Town” だけでなく、"Winter Wonderland” が作曲された年でもあるという驚き。

 

ブギウギは当然あると思っていたけどやはりある。

 

 

 

I’ll Be Home for Christmas

クリスマス・ソングの続き。

 

 

All I Want for Christmas Is My Two Front Teeth

クリスマス・ソングの続き。

 

 

 

 

美空ひばり

どうでもいいのだが、すでに紹介した1955年の『七変化狸御殿』(大曾根辰夫監督)のクリップで美空ひばりが歌っているのはお正月ソングであった。


 

これは、 1952 年にはクリスマス・ソングとして歌われていたのだが、差別用語が使われているため発禁になってしまった。なんか 78 回転のSP盤の映像ばかり見ているのでLPの回転 (33 rpm) が異常に遅く感じられてしまう。

 

 

三人娘の頃から日本人の歌手によるクリスマス・ソングは普通に YouTube にあるんだけど戦前のものはなかなか見当たらず残念である。しょうがないので、溜池にあったフロリダ・ダンス・ホールの巴里ムーラン・ルージュ楽員による『丘を越えて』でも紹介しておこう。

 

 

戦前の12月25日は大正天皇崩御した日で休日だった。大阪のダンスホールが閉鎖されるきっかけになったのは大正天皇崩御した日がクリスマスに重なったため大勢がダンスホールで乱痴気騒ぎをしていたのが官憲の逆鱗に触れた所為だと言われている。

 

全然脈絡なくプレスリークリスマス・ソング