ノリの悪い日記

古今東西の映画、ポピュラー音楽、その他をいまここに交錯させながら随想します。

映画の記憶

前の記事で、ヴァル・リュートン製作、ジャック・ターナー監督による『キャット・ピープル』(1942) が出てきたので、その作品の編集を担当し後に映画監督となるマーク・ロブソンを思い出した。それから、マーク・ロブソンがやはり編集しオーソン・ウェルズが…

見える化

アブダクションがもたらす仮説の質の高さは、空間的にせよ時間的にせよどこまでの範囲の情報を考慮し、共存させているかに依存する部分が大きいのでないかと思う。アイザック・ニュートンが運動の三法則をアブダクションしたときに、「林檎の実」が彼の眼の…

The World Is Waiting for the Sunrise

この曲が出版されたのは 1919 年だから 100 年の時が経とうとしている。YouTube 探していたらシリンダー方式の録音によるパイプ・オルガンの演奏があって、調べたら1924 年の録音で意外と新しい。1910 年頃にはすでに円盤式が市場で優位に立ち円筒式は廃れて…

英語の勘所 (5)

ほぼ半年ぶりにこのシリーズに関する記事が更新されるという事実は、今後もこの領域での記事が作成されることを支持するものでは些かもなく、それどころか作成者の「英語の原理主義」に対する嫌悪感は日毎単調に募るばかりであり、それでも書くことをなんと…

You’d Be So Nice to Come Home To

CM の影響もあったと思うが、日本ではジャズ・ファンでない人にも人気があったと思う。 ※ “You’d Be So Easy to Love” のときにもしやと思って英語の構文について念のため断っておいたが、大橋巨泉の訳と言われる邦題『帰ってくれたら嬉しいわ』はもちろん適…

塵埃と頭髪

詳しくは、「『ボヴァリー夫人』論」を参照。 『ボヴァリー夫人』で「塵埃」と「頭髪」の機能の類似にはっきりと気づかせてくれるのはジュスタンのところである。 ジュスタン1: そう言うがいなや、彼はマントルピースに手をのばしてエンマの靴をとった。その…

シンセシス (3)

今まで述べたような側面がある一方で、蓮實重彥はドゥルーズの著作のひとつを『マゾッホとサド』という邦題で翻訳したように、本来、それぞれの領域は絶対的な差異として存在しており、両者の間には多様な関係があって良いはずのものを安易な一般概念で重ね…

シンセシス (2)

蓮實重彥に関してはその比喩においてもアブダクション的なものを感じる。たとえば、この前の「群像」の 1 月号に掲載されていた「パンダと憲法」にしたところで、「民主主義は体質的に好きになれない」といいながら、論理的に説明できないので比喩を使うしか…

シンセシス

アブダクションとは仮説的なものを発見する推論であり、シンセシスを行うための基礎となるものであるというのは、吉川弘之先生から大昔に教わった。学生のときの思い出などほとんど残っていないが、たまたま東大総長を勤められることになる吉川先生と蓮實重…

Oh! You Beautiful Doll

ロバート・オルドリッチ監督の遺作であり、「古典ハリウッド映画」の「白鳥の歌」ともなった、とめどもなく涙が流れてしょうがない『カリフォルニア・ドールズ』(… All The Marbles, 1981) のクライマックスにおけるリノの MGM 撮影所の跡地に建てられたホテ…

The Scarecrow / Begin the Beguine

前の記事の補足だが、主題となるものが思いもかけない機能をいろいろと顕在化させていく作品って映画初期のサイレントではリュミエールの頃からたくさんある。たとえば、次のバスター・キートンの “The Scarecrow” (1920) なんて典型的な作品だろう。 “Begin…

裸の拍車

1953 年のアンソニー・マン監督作品で、原題は “The Naked Spur”。 うまくいくときもいかないときもあるが、映画を見るときは、アブダクションを試みていることが多い。アブダクションとは C. S. パースが「演繹」「帰納」とは違うタイプの推論として導入し…

若い人 (2)

気になったので絶版になっている新潮文庫の古本を手に入れてみたのだが、 —— 次の夜、彼らは肉体でお互いの愛情を誓い合った。 となっていて、宮本百合子の引用には「肉体で」が欠落しているということがわかった。これは宮本百合子が引用する際に意識的に、…

Someday My Prince Will Come

初の長編アニメーション映画といわれるディズニー映画 『白雪姫』(Snow White and the Seven Dwarfs, 1937) でこの曲が使われており、いまでは YouTube でその曲が流れている映画の場面のひとつを簡単に確認できる。ノリが悪いのでもしかしたら違うと否定さ…

友よ映画よ

いまでは死語になったかも知れないが「ポストモダン」などという粗雑な言葉が日本でも 80 年代の後半になるとかなりの頻度で流通していたと思う。 そんな言葉の流行とは別に、雑誌「話の特集」1976 年 1 月号から 1977 年 12 月号まで山田宏一さんによって連…