雑記(4)

前回の記事で何に長時間、興味を惹かれていたかというと、「力」については作用反作用の法則が成立するが、「仕事」については一般には成立しないということ。重心の「仕事」に「外力」のみが寄与し、「内力」は寄与しないのだとすれば、ブランコを漕ぐ場合のように、「内力」が「仕事」をしない形で「外力」の大きさを増やし、その「外力」の反作用の力は、系に「仕事」をするという非対称な条件が必要である。これはブランコの例ばかりではなく、人間や犬や車が歩行したり走行したりする場合もそうだし、床に足をつけないで、椅子を回転させる場合もそうだ。あたり前といえばあたり前だが、「内力」と「外力」の非対称の相互作用って、「内」と「外」の無意識の前提を突き崩すような気がして面白い。

雑記 (3)

ベクトルの内積というと、なぜか自分は、(力学的)「仕事」を真っ先にイメージしてしまう。

「仕事」について、

物体に力を加えて、物体が力の向きに移動したとき、力は物体に仕事をしたと言い仕事の量は力と移動距離の積で与えられる。

と説明しているものがある。まずはシンプルにここでいう「物体」とは質点のことであるとしよう。すると大事なことは、「仕事」に寄与する力(ベクトル)の方向は、質点の移動方向と「一致している」成分だけである。したがって仕事とは、力 \mathbf{F} と質点の運動方向の微小変位  \mathbf{ds}内積 \mathbf{F}\cdot \mathbf{ds}を移動範囲で積分したものとなる。つまり、場所 1 から 2 に質点が移動したとして、

\int_1^2 \mathbf{F}\cdot \mathbf{ds}

となる。すると仕事とは、場所 2 と 場所 1 における質点の運動エネルギーの差に等しいということがすぐに了解され、それは、たとえ今考えている力がポテンシャル・エネルギーの勾配に由来する保存力でなくても成立することがわかる。なお、「仕事」は負であっても別に構わず、正ならば加速、負ならば減速させるような力が働いていると考えれば良い。

以上からわかるように、質点に速度の向きと直角の向きを持つ一定の大きさの力を与え続けても、「仕事」はゼロで、質点の速度の大きさは同じままで(運動エネルギーが同じままで)、向きだけが一定角度だけ変わり続けて円運動する。



次に「物体」が一つの質点ではなく、自分の都合の良いように選んだ複数の質点の集合で構成された「質点系」であるときを考える。実際には「物体」を適当に複数のブロックに分割して、それぞれのブロックを質点と考えることもよく行われる。いま、ある質点系に含まれる任意の質点同士の間に働く力を「内力(材料力学では応力と呼ぶ)」、そうでなく系の外部から系の質点に働く力を「外力」と呼ぶ。ニュートンの「作用反作用の強法則」が成立しているとすれば、例えば、質点 1 から質点2 に働く「内力」には、かならず反対向きの質点2 から 質点 1 の「内力」が同じ作用線上に存在していて打ち消しあっている。

系に含まれる全質点には重心(質量中心)が定まることはよく知られているが、重心の運動は、系の質点すべての質量が重心に集まり、すべての外力の合力が重心に作用するかのように運動する。また系の質点すべての運動量の合計は、重心の運動量に等しい。したがって、すべての外力の合力がゼロであれば、系の全運動量は保存される。

系の全角運動量については、重心の角運動量と重心の周りの各質点の角運動量の和である。

それで、問題は質点系の「仕事」であるが系の重心に対する仕事は、系のすべての外力の合力と重心の運動方向の微小変位の内積 (の積分) によって定まる。つまり、内力は「重心」の仕事 (重心の運動エネルギー変化) に直接は寄与させないで、外力の合力と重心の運動方向だけで重心になされる仕事を求めることができる。

[例]

ブランコの座板(質点1) とそれに座っている人間(質点 2) をそれぞれ質点系の質点とみなす。台座に一方の端が取り付けられた鎖の他端は、水平な支柱と繋がっていて、座板を揺動できるようにしてある。台座を支える鎖の張力は、質点 1 の外力である。また質点 1 と 質点 2 にはそれぞれ重力がかかっているがこれも外力である。台座が下に振れたときに質点2 は立ち上がり(質点1 と質点2 の重心を上げる)、上に振れたときは体を低くする(質点1 と質点2 の重心を下げる)。体を上げたり下げたりする力は、質点2から質点1への内力であり、その反対向きの同じ大きさの力である質点1 から 2 の内力が存在する。

質点2が体を上げ下げしなければ、重心にかかる鎖の張力は、重心の運動方向に対して直交しているため、鎖の張力は重心に対して仕事をしない。しかし、板が上から下に振れているときに重心を上げていき、板が下から上に振れるときに重心を下げると、重心を上げるときは鎖の張力が強くなり、重心を下げるときには張力は弱くなる。また、重心を上げ下げすると鎖の張力の方向は、重心の運動方向とは直交しなくなるため、鎖の張力は重心に対して仕事をする成分をもつようになる。鎖の張力が重心に対してする仕事は、板が下から上に振れるときは負の仕事であり、上から下に振れるときは正の仕事である。しかし、正の仕事をするときのほうが負の仕事をするときよりも張力が強いことから、正味では正の仕事をする。こうして、ブランコの揺れを大きくすることができる。








 




 

雑記 (2)

三つほど前の記事で、慣性力を説明したので、回転する独楽が重力によるモーメントで傾いたときに、そのまま倒れないための釣り合い力は、歳差運動することによって実際に生まれていることが直感的にわかるよう加速度座標系で考えてみる。

いま、静止系で自分の方に倒れてきた独楽の一番手前の質点は、傾いた独楽の加速度座標系では、傾く前の水平な面で回っているときの加速度座標系に対して、その質点が下に降りてきているのだから、以前の水平面の回転からの加速度系からの差分の慣性力としては重力のモーメントの影響と釣り合うモーメントとして働いている。

証明終わり。歳差運動して一周すると重力のモーメントは打ち消されてしまうことにも注意して欲しい。以下のように角運動量を持ち出せば簡単だけど、どうもインターネットの記事をみていると直感的には理解しにくいようなので。

 \begin{align}
\mathbf{N} - \frac{d\mathbf{L}}{dt} 
&= \mathbf{N} - \mathbf{\Omega} \times  \mathbf{L} \\ &= \mathbf{0}\end{align}

ここで \mathbf{N}は独楽の重心にかかる重力によるモーメント,  \mathbf{L} は独楽の固定中心軸のまわりの角運動量,  \mathbf{\Omega}は歳差運動の角速度である。


雑記

地球の地軸は 約23.4 度、太陽の周りを公転する(軌道は完全な円ではない)面に垂直な軸から傾いていて、夏至のときの北緯 23.4 度の北回帰線、冬至のときの南緯 23.4 度の南回帰線は太陽が真上(天頂)にくる北限と南限で、熱帯(tropics)とはこの二つの回帰線(tropic)にあるゾーンを指すという定義もある。

地球は北極に向かって右手まわり(つまり北極星から見ると反時計まわり)だが、地軸が23.4度傾いていているために赤道付近の潮汐力が偶力となって歳差運動しているのだが、その周期は約25,800年である。

実はこの地球の歳差運動の回転方向を、普通の重心が軸の支点(接地点)より上にある独楽の感覚で、地球の自転と同じ反時計回りだと思いこんでいたのだが、潮汐力による偶力のモーメントは地球が少し南北に扁平なせいもあって地軸を起こす方向に働くので、歳差運動は時計回りになっていると初めて知った。

普通の独楽は回転しているために、軸が傾いて重力によるモーメントが独楽の重心にかかると、そのままそちらの方向に倒れていくのではなく、回転しているためにコマの軸の周りの質点は、斜めに動いていくことになる。そうすると回転軸は、傾いている方向とは直角の方向に動かないといけないってことはすぐにわかると思う。例えば、上から見て反時計まわりに自転している独楽が、こちら側に傾こうとすると、独楽の見えている側の点は回転しているために結果として右斜め下に動くので、独楽の軸は向かって右側に倒れないといけない。これの繰り返しで、独楽は自転の方向と同じ方向に首を振ることになる。地球の場合は逆に回転軸を起こす方向に動くので、右斜め上に動くので、軸は左側に倒れないといけない。

That Old Feeling

この曲が挿入歌として使われたアーヴィング・カミングズ監督の『1938 年のヴォーグ』(1937, Walter Wanger's Vogues of 1938) は、本編を見たことがなく、下にあるクリップを見たきりである。


したがって、周辺的な事実しかわからないのだが、ともかくこの作品、マックス・ファクターが開発したカラー映画用のメーキャップ製品が初めて使われた作品である。この時期、ファッション雑誌『ヴォーグ』が、カラーのモード写真を掲載し始めた頃で、それに対抗しようとして(当時のハリウッドはファッションの先端でもあった)、ニューヨークのファッション・モデルをハリウッドへ送りこんで作った。カラー再現は加色法のテクニカラーで、カラー・コンサルタントはナタリー・カルマス、撮影はレイ・レナハンである。また、この映画を製作している、ウォルター・ウェンジャーは、非常に知的であったことで知られている独立/契約プロデューサーであり、彼が製作した映画はちょっとあげるだけでも『駅馬車』『果てなき船路』『暗黒街の弾痕』『スカーレット・ストリート』『扉の蔭の秘密』『歴史は夜作られる』『海外特派員』といった作品がある。この映画に出演しているジョーン・ベネットと 1940 年に結婚し、1951 年にジョーン・ベネットが彼女のエージェントと浮気している現場を見て激昂し、マネージャの股間をピストルで撃つというスキャンダルを起こしたことでも知られている。

※ 演奏は一部の紹介に留まる。


1937:
Shep Fields:

Guy Lombardo and His Royal Canadians:

1938:
Teddy Wilson:

Fats Walker:

1945:
Peggy Lee:

Count Basie:

1947:
Ella Fitzgerald:

1948:
Frank Sinatra:

Doris Day:

1956:
Chet Baker:

1957:
Stan Getz and Gerry Mulligan:

Louis Armstrong and Oscar Peterson:

1963:
Anita O'Day:

I saw you last night and got that old feeling
When you came in sight, I got that old feeling
The moment that you danced by, I felt a thrill
And when you caught my eye, my heart stood still
Once again I seemed to feel that old yearning
And I knew the spark of love was still burning
There'll be no new romance for me, it's foolish to start
For that old feeling is still in my heart

雑記(4)

インターネットでどうでも良い記事を眺めていたら、「組織は慣性力に従う」という文章にお目にかかった。これは、組織が現状をなかなか変えることができないという意味で使っているのならば、「組織は慣性に従う」で良いと思う。

以下のニュートンの「プリンキピア」の法則 I にあるような力学的性質が「慣性」である。

すべて物体は、外力によってその状態を変えられない限り、その静止の状態を、あるいは直線上の一様な運動の状態をそのまま続ける。

だから、「慣性」とは外力がなければ、運動量が保存されるということである。そして、一番重要なことは、それは物体の観測者が、静止あるいは等速(一様な運動)なすべての等速座標系の群のどれかの座標系にいることが暗黙の内に前提にされていることである。ニュートン力学とは、このガリレイ変換で不変な観測座標系で成立している。


一方、「慣性力」とは観測者が「加速度座標系」にいるときに等速座標系に対して新たに補償しなければいけない力のことである。ここで、通例に従って「慣性力」を「見かけの力」と説明すると、「見かけ」という言葉の一般的イメージから、まるで現実にはない嘘の力のことだと受けとられる可能性がある(実際そのように勘違いして混乱している人が結構いる)。「見かけの力」というのは、ニュートン力学の体系を「加速度座標系」にも適用するために必要とされる「見かけ」という意味であって、「加速度座標系」にいる観測者にとっては実際に力として感じられるのは、電車が停止しようとするときの経験などから明らかであろう。

力学の教科書に「ダランベールの原理」をきちんと説明しているものが少ない。ニュートン運動方程式 \mathbf{f}=M\mathbf{a} において、\mathbf{f'}=-M\mathbf{a} を「慣性力」と名付け、

\mathbf{f}+\mathbf{f'}=\mathbf{0}

と書いても、一体、このどこが「百科全書」の序文を執筆した碩学の名前を冠するほどの「原理」なのだろうと思ってしまうのではないか(単に式の遊びではないか)? 少しまともな説明だと「仮想仕事 (運動量/
力積) の原理」に引きつけて書いてあるのだが、そうすると偉いのは、やっぱりラグランジュだねという程度の理解で終わってしまう。


でも、そんなにこの原理を理解するのは難しくないはずで、例えば自由落下する物体を一緒に自由落下しながら観測している人がいれば、その観測者にとってその物体は静止して見えるはずで、そのために慣性力という力を導入して重力の影響を打ち消しさえすれば、ニュートン力学は依然有効だということなのである。


例として等角速度 \omegaで回転する座標系にいる観測者は、静止座標系では外力が働いていない物体に対して「慣性力」が働いている運動を見る。計算が面倒なので複素平面で考えると(虚数単位を j としている)、  re^{j\omega t} を一回 t で微分して、

 \dot{r}e^{j\omega t}+(j\omega)re^{j\omega t}

さらにもう一回 t で微分して

 -r\omega^{2}e^{j\omega t}+2\omega\dot{r}je^{j\omega t}

これは、次のようにも書ける。

 -r\omega^{2}e^{j\omega t}+2\omega\dot{r}e^{j(\omega t + \frac{\pi}{2})}

したがって慣性力は、

 mr\omega^{2}e^{j\omega t}-2m\omega\dot{r}e^{j(\omega t + \frac{\pi}{2})}

となるが、言うまでもなく最初の項は「遠心力」、次の項は「コリオリ力」と呼ばれる慣性力である。

もし、物体がこの回転する加速度座標系とあわせて原点から等距離で一緒に回転して加速度座標系にいる観測者から見たときに静止していれば、遠心力は向心力の反作用の力として実際に存在していることになる。一方、先ほどの自由落下の場合は慣性力は「見かけの力」と言っても違和感はない。ここらあたりが、慣性力を「見かけの力」という言葉で表現することによって混乱しているところなのかもしれず、だから安易に使うのが嫌なのである。

雑記(3)

ちょっと前の本読んでいたら「昨日マー坊 今日トミー」というフレーズが出てきて、これって『圭子の夢は夜ひらく』の歌詞の一部だってすぐに分かってしまうなあ。『夢は夜ひらく』はもちろん藤圭子のものも好きだけど、園まりと三上寛のものも良い。三上寛のものは当時放送禁止だったらしい。

 

 

藤圭子は『緋牡丹博徒』(←漢字変換ができない) をよく聞いたなあ。もちろん加藤泰 監督の映画の影響。さすがに、藤純子が歌うのより上手い。

 

 

マキノ雅広監督の傑作『昭和残侠伝 死んで貰います』(←漢字変換ができない) をまた見たくなってしまった。