諏訪根自子

1920年生まれと言えば、原節子李香蘭、周センだけでなくヴァイオリニストの諏訪根自子さんもいる。彼女の少女時代の演奏のSP盤がYouTubeで何曲か紹介されている。

 

諏訪根自子 Nejiko Suwa_"Perpetuum Mobile" ペルペテウム・モビール(Ries) - YouTube

諏訪根自子 Nejiko Suwa_"Andante Cantabile" アンダンテ・カンタービレ(Tchaikovsky) - YouTube

追悼 諏訪根自子 Nejiko Suwa_Humoresque - YouTube

諏訪根自子 Nejiko Suwa_美はしき天然 on 78rpm record - YouTube

Nejiko Suwa 諏訪根自子_Drdla ; SOUVENIR on HMV-163 - YouTube

 

 

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汚れた肉体聖女

この1958年の作品、シネマヴェーラ渋谷で上映したんだなあ。映画館のスクリーンで見るまたとないチャンスだったのに、残念。見たかった。お色気路線は、日活ロマンポルノが最初ではもちろんなく、大蔵貢が率いた新東宝という映画会社の怪しいともいえる作品世界を忘れてはいけない (ジェンダーの扱い方にはかなりの問題があると思うけど)。映画館のスクリーンで見たいのは、このような作品であっても、日本映画の最盛期には当たり前のようにもの凄い撮影や照明がされていたってことを改めて確認したかったから。内容はともかく、綺麗だったろうな、高倉みゆき、大空眞弓をはじめとする女優さんたち。

 

汚れた肉体聖女 - YouTube

 

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サセレシア

最近知ったのは、小津安二郎の『早春』(1956)で初めて使われ『東京暮色』(1957) で全面的に使用され、『彼岸花』(1958) でも使われた斎藤高順の『サセレシア』は、ミスタンゲットの『サ・セ・パリ』と『バレンシア』をミックスした事で生まれたってこと。両曲ともミスタンゲットが1926年にムーラン・ルージュで歌ったものが最初である。

 

小津安二郎映画音楽集 東京暮色 サセレシア 斎藤高順作曲 - YouTube

 

Mistinguett - Ça c'est Paris - YouTube

 

Mistinguett - Valencia (La chanson française) - YouTube

 

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80年代初頭の日本映画のことなど

邦画が頑張っていて市場占有率を上げたことはすでに書いたが、映画産業は最近シネマコンプレックスの形態だとは思うがスクリーン数も増え、観客数もわずかであるが上昇している。映画ぐらい面白いものはこの世にはないと思っている一ファンとしては素直に喜びたい。

 

現在の邦画の市場占有率は、80 年代の初期の角川映画が台頭していた時期ぐらいには戻ってきているのだろう。70 年代の終わりから、80年代の初めって本当に東京で見られるアメリカ映画に限界を感じていた。たとえば、ドン・シーゲル監督の『ラスト・シューテスト』(1976, The Shootist) がジョン・ウェインの死後になってやっと公開されていたことを未だに腹立たしく思い出す。この映画は、1979 年 6 月 11 日癌で亡くなったジョン・ウェンの遺作である。この映画が 1979 年 7 月に渋谷の映画館でやっとロード・ショー公開されたのを見に行ったことを今でも覚えている。つまり、日本ではジョン・ウェインが亡くなった後に、やっと 映画を公開したのである。その当時聞いた話だと、なんでも『キング・コング』(もちろん、リメイクの方)と一緒にというか、付け足しで買ったものの長い間お蔵入りになっていて公開されず、ジョン・ウェインが亡くなると、それじゃあということでやっと公開したものらしい。『キング・コング』というコンピュータ制御のぬいぐるみが話題で「見世物映画」が主流だった時代とはいえ、クリント・イーストウッドが師匠として尊敬しているドン・シーゲルが監督し、出演者として、ジョン・ウェインローレン・バコール、ジェームス・スチュワート、ロン・ハワードが登場する映画をお蔵入りさせることに、罪の意識すら感じない時代が 70 年代の終わりであった。ともかく新作でも日本に来ないアメリカ映画があったし、名画座でもあたり前な作品(『ローマの休日』とか『理由なき反抗』とか一連のニューシネマとか)しかやっていなかった。サミュエル・フラーの『最前線物語』(1980) とか、ローバート・オルドリッチの『カリフォルニア・ドールズ』(1981) とか、クリント・イーストウッドの『ファイヤー・フォックス』(1982) とかいう例外はもちろんあったけど。

 

 

その一方、日本映画に関しては、まだましで色々な作品が見られたと思う。

 

1980年は、相米慎二が『翔んだカップル』で監督デビューした年だし、大森一樹が『ヒポクラテス』、横山博人が『純』、黒沢清が 8  mm の自主映画で『しがらみ学園』、柳町光男が『火祭り』を発表した年であり、ようやく日本映画に「新しい波」が起き始めた年だった。最近回顧上映された日活ロマンポルノの傑作を作った監督達も現役であった。スタジオ・システムはほぼ完全に崩壊し、インディペンデントの作家たちを支援する仕組みさえないこの苦しい時代でさえ、保護されたシステムの中ではなく個人の資格でなんとか作品を作ろうという人たちがいたし、日本映画の未来に勇気を与えてくれるような過去の作品が上映されていた。

 

ちょっと思い出すだけでも、「牛込文化」では、小沼勝の『女教師・甘い生活』『女教師・少年生活』『犯されて』や神代辰巳の『赤線玉の井 抜けられます』を見たし、「ギンレイホール」では、小原宏裕の『桃尻娘 プロポーズ大作戦』『桃尻娘 ピンクヒップガール』『桃尻娘 ラブアタック』の「桃尻娘三部作」を見たし、神代辰巳の『赫い髪の女』、藤田敏八の『エロスは甘き香り』、田中登の『女教師』、曽根中生の『大四畳半大物語』、相米慎二の『翔んだカップル』を見た。「文芸座」では、藤田敏八の『八月の濡れた砂』『バージン・ブルース』『炎の肖像』(加藤彰と共同監督)、長谷部安春の『俺にさわると危ないぜ』『皆殺しの拳銃』『野獣を消せ』『女番長・野良猫ロック』『流血の抗争』、西村潔の『死ぬにはまだ早い』『白昼の襲撃』『豹は走った』、豊田四朗の『墨東綺譚』『雪国』『猫と庄造と二人のをんな』『夫婦善哉』を見た。「フィルムセンタ-」(焼ける前) では、マキノ雅弘の『日本侠客伝・血斗神田祭り』『仇討崇禅寺馬場』、清水宏の『有りがたうさん』、山本嘉次郎の『綴り方教室』、島津安二郎の『隣の八重ちゃん』、伊丹万作の『赤西蛎太』、沢島忠の『人生劇場・飛車角』、工藤栄一の『十三人の刺客』を見た。「佳作座」では、寺山修司の『上海異人娼館』。「文芸地下」では、寺山修司の『消しゴム』『書見機』『疱瘡譚』『トマトケチャップ皇帝』、田中登の『㊙︎色情めす市場』、深作欣二の『仁義の墓場』、稲垣浩の『一心太助』、マキノ雅弘の『浪人街』、黒沢清の『しがらみ学園』、神代辰巳の『嗚呼!おんなたち・猥歌』を見た。「日勝文化」では、中島貞夫の『唐獅子警察』、田中登の『安藤昇のわが逃走とSEXの記録』を見た。「鈴本キネマ」では、田中登の『人妻集団暴行致死事件』、曽根中生の『太陽のきずあと』『博多っ子純情』、満友敬司の『俺は田舎のプレスリー』、鈴木則文の『エロ将軍と21人の愛妾』、神代辰巳の『少女娼婦 けものみち』、武田一成の『女の細道』を見た。「丸の内東映」では、野田喜男の『0課の女・赤い手錠』、「有楽シネマ」では神代辰巳の『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』、「川崎銀星座」ではマキノ雅弘の『昭和残侠伝・唐獅子仁義』を見た。「ヤエス松竹」では、曽根中生の『天使のはらわた 赤い教室』『天使のはらわた 女高生』、田中登の『天使のはらわた 名美』を見た。

 

上記の作品で、神代辰巳の『少女娼婦 けもの道』なんか、別に神代監督の傑作ではないが、撮影は姫田真佐久で、この作品だけにしか出てこない「新人女優」吉村彩子と内田裕也が出演していて、たいした作品ではないと思いつつも当時は感動したと見えて、2回見た記憶があるし、映画の中で、新井英一が『カラス』という曲を歌っていて、思えば新井英一を覚えたのもこの映画だった。

 

マキノ雅弘監督、高倉健藤純子主演の傑作「昭和残俠伝 死んで貰います」(1970) は川崎のどの映画館か名前を忘れてしまったたけれど、少し遠かったが時間を確認して出かけたことがある。その映画館に入るのは初めてだった(そして最後でもあった)。その頃は汚ない映画館にはもうすっかり慣れっこになっていたつもりだったが(昭和の名画座は汚かった)、そこは少々度を越してはいまいかと思わせる独特の雰囲気があった。しかし、照明が落ちてしまえばそれもやがて気にならず、映画が始まってマキノ雅弘監督の演出の巧さにわざわざ見に来て大正解だったと満足を感じ、高倉健藤純子の大きな樹の下での出逢いのシーンの美しさに思わず涙ぐんでいると、突然右の膝のあたりに妙な感触を感じ、視線をスクリーンから名残り惜しく移動させると、右隣に座っていたいかにも不潔そうな無精髭の年嵩の男が自分の右膝に手を載せている。

 

「テメー、いったい何しやがるんだ」

 

とその男を怒鳴りつけたかったが、健さんの前で、そんな三下ヤクザのような下品な振る舞いに及ぶようなはしたない真似もできず、懐にドスも忍ばせていなかったので、健さんの目力にはとうてい及ぶべきもないが、グッとその不埒な男を睨みつけてから立ち上がり、なるべく離れた別の空席に黙って移動したのであった。この経験は、その数週間前に見た映画が現実に反映したという点で忘れられない。数週間前に見た映画とは、エリック・ロメールの『クレールの膝』(1970)であり、該当するシーンは、下の YouTube に示されている名高い場面である。

 

 le genou de claire - YouTube

 

この映画は、簡単にいうとクレールという少女(ベアトリス・ロマン)の膝に思いを寄せる男(ジャン=クロード・ブリアリ)が、雨宿りにかこつけて遂に少女の膝をさすってその思いを遂げるという映画である。実は、この映画をアテネ・フランセで見た後、どういう経緯か忘れたが、今では大学の映像コースで教鞭を取っておられる方とこの映画についてお茶を飲みながら話しをしたのである。話しといっても、このネストール・アルメンドロスが撮影した映画を見て興奮している自分達のことはすっかり棚に上げてしまって、ひたすら「ロメールは要するに変質者ですよね」という内容を変奏していたに過ぎない。あの最初で最後だった川崎の映画館の出来事は、ロメールの悪口をたたいた罰なのだろうか。もし、それが罰だとすれば、その罰は一緒に悪口を言った相手の方にも当たって然るべきだが、今になってそれが実際に起きたかどうかをあえて本人に確認する気にはとてもなれない。

 

アメリカ映画はあまり見られなかったが、当時はヌーベル・バーグの作品なんかは、フィルム・センターやシネクラブでまだ見ることができた方であった。全部の記録は残っていないが、以下に挙げておく。

 

フランソワ・トリュフォーの『あこがれ』、ジャン・ルノワールの『どん底』、マルセル・カルネの『北ホテル』、ダニエル・シュミットの『ラ・パロマ』、パトリシア・モラの『インディアンはまだ遠くにいる』、ルイス・ブニュエルの『昼顔』、マルグリッド・デュラスの『インディアン・ソング』、ロベール・ブレッソンの『ブローニュの森の貴婦人たち』なんかは、アテネ・フランセで見た。

 

ロベール・ブレッソンの『やさしい女』『スリ』、フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』、ジャック・ベッケルの『現金に手を出すな』、ジャック・ドゥミ-の『シェルブールの雨傘』、エリック・ロメールの『クレールの膝』、ジャン・ピエール・メルヴィルの『仁義』『サムライ』、マルセル・カルネの『悪魔が夜来る』、ジャン・ルノワールの『トニ』『牝犬』『黄金の馬車』、ジョルジュ・フランジュの『山師トマ』、ジャン・コクトーの『双頭の鷲』、ジャック・ドワヨンの『小さな赤いビー玉』、ジャン・リュック・ゴダールの『女は女である』なんかは、日仏学院でみた。

 

ゴダールの『男の子はみなパトリック』『女と男のいる舗道』『中国女』『ブリティッシュ・サウンド』『ウィークエンド』『東風』なんかは、カトル・ド・シネマでみた。

 

トリュフォーは、渋谷のパルコ西武劇場で全作上映があった。

 

ニコラス・レイの『にがい勝利』はスペース50でみていて、この作品は日本では未だに DVD になっていないと思う。

 

 

 

サッチモ

1928 年というと、日本では『あほ空(青空)』が初めてのジャズのメジャー・レコーディングとして発売された頃。1928年に、ホット・ファイヴはアール・ハインズ(ピアノ)らを擁したコンビネーションとなり、ルイの生涯絶頂ともいえるプレイが生まれる。

 

1925年11月

My Heart - Louis Armstrong & His Hot Five (Johnny Dodds, Kid Ory, Lil Hardin) (1925) - YouTube

 

1926年2月

Heebie Jeebies / Louis Armstrong and His Hot Five - YouTube

Louis Armstrong-Cornet Chop Suey - YouTube

 

1927年5月

Louis Armstrong Hot Seven - Wild Man Blues (1927) - YouTube

Potato Head Blues - Louis Armstrong And His Hot Seven - Shellac Test - YouTube

 

1927年12月

Struttin' With Some Barbecue - Louis Armstrong & His Hot Five (Kid Ory, Johnny Dodds) - YouTube

Louis Armstrong & His Hot Five “Hotter Than That” Okeh 8535 (1927) RARE VISUALS - YouTube

 

1928年6月

Louis Armstrong, His Hot Five - A monday date - YouTube

Louis Armstrong - West End Blues - Chicago, 28 June 1928 - YouTube

Louis Armstrong and his Hot Five - Fireworks (1928) - YouTube

Sugar Foot Strut - Louis Armstrong & His Hot Five (w Earl Hines, Zutty Singleton) (1928) - YouTube

Louis Armstrong Hot Five "Skip the Gutter" Okeh 8631 June 27, 1928 - YouTube

Louis Armstrong - Don't Jive Me (HD) Officiel Seniors Jazz - YouTube

Louis Armstrong & His Hot Five - Two Deuces (1928) - YouTube

Louis Armstrong, His Hot Five - Squeeze me - YouTube

 

1928年7月

Louis Armstrong & His Hot Five - Knee Drops 1928 - YouTube

 

1928年12月

Louis Armstrong - No One But You - Chicago, 05.12. 1928 - YouTube

LOUIS ARMSTRONG No Papa No - YouTube

Louis Armstrong - Save It Pretty Mamma For Me - Chicago, 05.12. 1928 - YouTube

Beau Koo Jack: Louis Armstrong and His Orchestra - YouTube

Louis Armstrong - Basin Street Blues (1928) [Digitally Remastered] - YouTube

Louis Armstrong - Muggles - YouTube

Louis Armstrong - Weather Bird - New York, 07.12. 1928 - YouTube

Heah Me Talkin' To Ya - Louis Armstrong and his Hot Five - YouTube

Louis Armstrong - St. James Infirmary - New York 12.12. 1928 - YouTube

Louis Armstrong - Tight Like This - Chicago, 12.12. 1928 - YouTube

 

1930年4月

Louis Armstrong - DEAR OLD SOUTHLAND - YouTube

 

 

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非言語的なメディアの価値

かねがね不思議なのは、日本はソフト産業が駄目だと思っている人が結構いるってことである。しかし、それは「わかりやすい」嘘の一つであろう。

 

たとえば、日本の映画産業と音楽産業を例にとってみる。

 

日本の映画市場というのは総興業収入で 2,300 億円ぐらいの規模で金額ベースで見ると北米、中国に次ぐ世界第三位の規模である。邦画の興業収入市場占有率(シェア)は、2016 年で 63 パーセント、2015 年で 55 パーセントである。2002 年では 28 パーセントまで落ち込んだことを考えると、現在の日本映画は「驚異的」といっていいほど頑張っているのである。たとえば、EU 諸国でもっとも自国占有率が高いのは、国家が自国の映画産業を支援しているフランスであるが、それですら 33 パーセントであり、ドイツは 26 パーセントである。アメリカ合衆国以外の先進国で、これほどハリウッド映画に対して、自国の映画占有率が高い国は他には存在しない。

 

音楽産業だって、日本のライブ、配信、ソフトの売上合計は、2015年で 6,200 億円であり、アメリカに次ぐ世界第ニ位の規模である。対 GDP比では世界第一位である。そして、配信やソフトの売上減少が続く中で、ライブの売上が急速に増えていることが音楽産業の成長を支えているということは、常識として知っておくべきだろう。

 

すでに述べたように、映画にしろ音楽にしろ「非言語的」なコンテンツである。言葉という記号処理ではなく、感性に直接働きかけるような非言語的なものの表現の価値というものをどれだけ真剣に考えることができるかということが、日本のソフト産業においては非常に重要なんだと思う。もっとも最近の意味のない文字が踊り「非言語的」価値などどんどん切り捨てていっているとしか思えないテレビの画面を見ていると、それすらも楽観視できないと思ってしまうんだが。

 

 

 

帝国の陰謀 / ローラ殺人事件 / ウディ・ハーマン楽団

二十歳にもなっていない大学の新入生になったばかりの者のもとへ、それを待ち続けていたわけでもないのに、これこそを待っていたんだと思わせるような『夏目漱石論』(1978)『映画の神話学』『映像の詩学』『シネマの記憶装置』『「私小説」を読む』『表層批評宣言』(1979) といった書物がたった一年あまりの間にたて続けに出現してしまう。自分にいわゆる年表的な歴史意識があるとすれば、それは「蓮實重彦」という固有名詞がもたらした「事件」があった年として記憶しているこのとき (1979年) が最後であるような気もする。

 

そんな感慨に囚われたのは、最近、奥付けに 「1991年9月13日第一刷印刷」とある『帝国の陰謀』を読み直した後、奥付けの直前の頁にある「著者略歴」のところを眺めていたからである。

 

その書物では「起源」を欠いた「反復」としてあたりに(複製技術によって大量に)流通する「シミュラークル」が、「形式的」な虚構にすぎなかった「起源」を量的に現実化してしまうという事態や、書かれつつある瞬間には読み手は不在で、読まれつつある瞬間には書き手は不在であるというコミュニケーションにおける「遠隔化」「遅延化」(デリダによって「差延」と呼ばれている)といった現前性の不在によるコンテクストの「曖昧化」「漂流性」が記号が体現すべきものにしばしば「無責任」ともいうべきズレを生み出すということが、すでに19世紀末のフランス第二帝政期において起きていたことを「ド・モルニー」という人物を召喚することで語っている。

 

しかし、1979年というあの時期は、少なくとも僕にとって「蓮實重彦」という署名は「起源」としか思えなかったし、大学のゼミに行けば「現前」もしていたのだった。

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 ここからは、全然別の話題で、1944年の映画『ローラ殺人事件』 (Laura) は、マリリン・モンローの『帰らざる河』(1954, River of No Return) を監督したオットー・プレミンジャーが、ハリウッドで初めて演出した作品である。もっとも、もともとはルーベン・マムーリアンが監督していたらしい。オットー・プレミンジャーは、オーストリア=ハンガリー帝国のヴィシュニッツに生まれ 17 歳でマックス・ラインハルト劇団に参加している。最初は俳優志望であったというが、後に舞台監督を務めるようになり、ウィリアム・ディターレとも一緒に舞台の仕事をしたことがある。また、ビリー・ワイルダーも同じオーストリア=ハンガリー帝国出身であり、二人は同郷ということになる。プレミンジャーはデビューするまで、ブーロドウェイなどで働いていた。

 

出演者としては、ジーン・ティアニーダナ・アンドリュースクリフトン・ウェッブヴィンセント・プライス、ジュディス・アンダーソンといったところである。ヴィンセント・プライスがホラー映画で主役を張るようになるのは、まだ先の話でこのころはまだ脇役である。ジュディス・アンダーソンはヒッチコックの『レベッカ』(1940,Rebecca) でのダンヴァース夫人の役が有名であろう。クリフトン・ウェッブは、ブロードウェイでは名優として知られていたが、本格的に映画に出演したのは、この作品が初めてである。彼はこのとき、もう55歳であった。ダナ・アンドリュースは、説明の必要もないだろうが、ウィリアム・ウェルマンの『牛泥棒』(1943, The Ox-Bow Incident)、ジョン・フォードの『タバコ・ロード』(1941, Tobacco Road) 、ウィリアム・ワイラーの『我等の生涯の最良の年』(1946, The Best Years of Our Lives)、ジャン・ルノワールの『スワンプ・ウォーター』(1940, Swamp Water)、ハワード・ホークスの『教授と美女』(1941, Ball of Fire) などでおなじみの役者である。そして、ジーン・ティアニー!この当時、もっとも美しいといわれていた女優である。翌年のエルンスト・ルビッチのカラー映画『天国は待ってくれる』(1943, Heaven Can Wait) の彼女の美しさは忘れがたい。彼女のデビュー作はヘンリー・キング監督の『地獄への道』(1939, Jesse James) の続編でフリッツ・ラングが監督した『地獄への逆襲』(1940, The Return of Frank James) である。

 

映画に出てくるローラの肖像画は絵ではなく、実際にジーン・ティアニーを白黒写真で撮影して、それを引き伸ばし、その写真を着色して仕上げたものである。室内のセット撮影が多くを占める作品で、ディテールの雰囲気がよく出ている。陰影のある撮影もすばらしく、ノワールの雰囲気もまたよくでている。謎解きを主体とするミステリー映画に傑作は少ないが、この映画はそのジャンルの数少ない傑作だと思う。

 

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この作品の映画音楽は非常に有名であり、いまやスタンダード・ナンバーとなっているので、聞いたことがある人は多いだろう。作曲はデイヴィッド・ラクシンによるものであるが、彼はロサンゼルスでシェーンベルグに師事して音楽を学んだ経験をもつ。映画では、歌詞がついて歌われていないが、1945 年に現在ある歌詞がジョニー・マーサ-によってつけられた。それをファースト・ハード (The First Herd) の時期のウディ・ハーマン楽団がコロンビアで録音している。

 

1945 HITS ARCHIVE: Laura - Woody Herman (Woody, vocal) - YouTube

 

もちろん、スタンダード中のスタンダードとも言えるこの曲は無数のアーティストが演奏しているが、ここではバードの演奏だけを追加で紹介するに留める。

 

Laura - Charlie Parker - YouTube

 

 

最後に、ファースト・ハードと呼ばれた時期のウディ・ハーマン楽団の名演奏をいくつか紹介しておこう。

 

Goosey Gander - Woody Herman and the First Herd (1945) - YouTube

Woody Herman - Apple Honey (1945) - YouTube

1945 HITS ARCHIVE: Caldonia - Woody Herman (Woody, vocal) - YouTube

Northwest Passage - Woody Herman and the First Herd (1945) - YouTube

78rpm: Wild Root - Woody Herman and his Orchestra, 1945 - Columbia 36949 - YouTube

Ah, Your Father's Mustache - Woody Herman and the First Herd (1945) - YouTube

Woody Herman - Blowin' Up A Storm (1945) - YouTube

Red Top - Woody Herman and the First Herd (1944) - YouTube

Flying Home - Woody Herman's First Herd (1944) - YouTube

It Must Be Jelly ('Cause Jam Don't Shake Like That) - Woody Herman and the First Herd (1944) - YouTube

Bijou - Woody Herman and the First Herd (1945) - YouTube